日本史人生シミュレーター

聖武天皇

天皇
時代:奈良時代 / 701年〜756年(55歳ほど)

何をした人?
奈良時代の天皇です。ききんや疫病、反乱が続くなか、仏教の力で国を守ろうと考え、国ごとに国分寺・国分尼寺を建てさせ、東大寺の大仏を造らせました。妻の光明皇后とともに、正倉院に伝わる宝物でも知られます。

プロフィール

名前聖武天皇
生没年701年(大宝元年) – 756年(天平勝宝8歳)
時代奈良時代
別名首皇子(おびとのみこ)
主な業績
  • 国分寺・国分尼寺建立の詔(741年)
  • 大仏造立の詔(743年)と東大寺大仏の開眼(752年)
  • 墾田永年私財法(743年)
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歩んだ道

701年

誕生

文武天皇と藤原不比等の娘・宮子の皇子として生まれた。名は首皇子。この年、国の基本となる法・大宝律令が完成している。

707年

父の死

6歳のとき父の文武天皇が亡くなった。皇子が幼かったため、祖母の元明天皇が位についた。母の宮子は心の病で長く皇子に会えなかったと伝わる。

710年

平城京

都が奈良の平城京に移された。少年は、碁盤の目のように整った新しい都で育った。

714年

皇太子

13歳で皇太子となった。2年後、母方の祖父・藤原不比等の娘・光明子(安宿媛)を妃に迎えた。

724年

即位

おばの元正天皇から位をゆずられ、23歳で即位した。藤原氏と皇族の間で、政治の主導権をめぐる駆け引きが続いていた。

729年

長屋王の変と光明皇后

有力な皇族・長屋王が謀反の疑いをかけられ、自ら命を絶った(長屋王の変)。同じ年、光明子が皇族以外から初めて皇后となった。

737年

天然痘の流行

天然痘が大流行し、政治を担っていた藤原四兄弟も相次いで亡くなった。多くの民も命を落とし、天皇は心を痛めて、仏の力にすがろうとした。

740年

都を転々と

九州で藤原広嗣が兵を挙げた(藤原広嗣の乱)。乱はまもなく収まったが、天皇は平城京を離れ、恭仁京、難波宮、紫香楽宮と、5年ほど都を移し続けた。

741年

国分寺建立の詔

国ごとに国分寺・国分尼寺を建てるよう命じた。仏教の力で災いをしずめ、国を守ろうという願いだった。

743年

大仏造立の詔

紫香楽宮で、大仏をつくる詔を出した。「天下の富も力も私が持つ。しかし一枝の草、ひとすくいの土でも持ち寄って協力してほしい」と呼びかけ、民衆に慕われた僧・行基の力を借りた。同じ年、墾田永年私財法も出された。

745年

平城京へ戻る

5年ぶりに都を平城京へ戻し、東大寺で大仏づくりが本格的に始まった。

749年

金の発見と譲位

陸奥(東北地方)で金が見つかり、大仏を金色にかがやかせられると大いに喜んだ。この年、娘の孝謙天皇に位をゆずった。

752年

大仏開眼

ついに大仏が完成し、盛大な開眼供養が行われた。インドから来た僧・菩提僊那が大仏に目を入れる役をつとめ、一万人もの僧が集まったという。

754年

鑑真から戒を受ける

唐から苦難の末にやって来た鑑真から、光明皇太后らとともに戒を授かった。

756年

最期

55歳で亡くなった。光明皇太后は愛用の品々を東大寺の大仏に納め、それらは今も正倉院の宝物として伝わっている。

この時代に起きたこと

よくある質問

Q. 聖武天皇は何をした人ですか?

A. 奈良時代の天皇です。ききんや疫病、反乱が続くなか、仏教の力で国を守ろうと考え、国ごとに国分寺・国分尼寺を建てさせ、東大寺の大仏を造らせました。妻の光明皇后とともに、正倉院に伝わる宝物でも知られます。

Q. 聖武天皇はいつの時代の人ですか?

A. 奈良時代の人物です。701年(大宝元年)に生まれ、756年(天平勝宝8歳)に亡くなりました。

Q. なぜ大仏を造ったのですか?

A. 天然痘の流行やききん、藤原広嗣の乱などで世の中が不安定になり、仏の力で国の平和を守ろうと考えたためとされます。大仏は752年に開眼供養が行われました。

参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata

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