日本史人生シミュレーター

鑑真

唐の高僧
時代:奈良時代 / 688年〜763年(75歳ほど)

何をした人?
唐(中国)の高僧で、日本に正しい戒律を伝えるため海を渡りました。5回の渡航に失敗し、その間に視力を失ったと伝わりますが、753年に6回目でついに来日しました。東大寺に戒壇を設け、のちに唐招提寺を開きました。

プロフィール

名前鑑真
生没年688年 – 763年(天平宝字7年)
時代奈良時代
出身地唐の揚州(現在の中国江蘇省揚州市)
別名過海大師
主な業績
  • 6回目の航海で来日(753年)
  • 東大寺に戒壇を設けて正式な受戒を始める
  • 唐招提寺を開く(759年)
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歩んだ道

688年

誕生

唐の揚州(今の中国江蘇省)に生まれた。父は仏教を深く信じる人だったと伝わる。

701年

出家

13歳のとき、父に連れられて行った寺で仏像を見て心を動かされ、出家を願ったという。揚州の大雲寺で僧となった。

708年

長安で学ぶ

都の長安で正式な僧となる戒を受け、戒律(僧が守るべききまり)を深く学んだ。

713年

揚州の名僧

故郷の揚州に戻り、大明寺などで戒律を講じた。生涯に四万人以上に戒を授けたと伝わり、唐でも名高い律宗の僧となった。

742年

日本からの願い

日本から来た僧・栄叡と普照が「日本に戒律を伝える師を」と頼んだ。日本には正式に戒を授けられる僧がいなかった。弟子たちが海の危険を恐れてためらう中、鑑真は「誰も行かないなら私が行こう」と言った。

743年

最初の失敗

渡航の準備を始めたが、密告によって船を取り上げられた。次の試みも船が難破し、失敗が続いた。

748年

海南島へ流される

5度目の航海では嵐にあい、遠く南の海南島まで流された。

750年

光を失う

揚州へ戻る長い旅の途中で、ともに苦労してきた栄叡が病で亡くなった。鑑真自身も、このころ目が見えなくなったと伝わる(諸説あり)。それでも日本へ行く決意は揺らがなかった。

753年

ついに日本へ

帰国する遣唐使の船にひそかに乗りこみ、6度目の挑戦で薩摩(鹿児島県)にたどり着いた。最初の願いから11年が過ぎ、65歳になっていた。

754年

東大寺で授戒

平城京に入り、東大寺の大仏殿の前に戒壇を設けて、聖武上皇・光明皇太后・孝謙天皇らに戒を授けた。日本で初めての正式な授戒だった。

759年

唐招提寺

朝廷からもらった土地に唐招提寺を開き、弟子たちを育てた。薬の知識も伝えたといわれる。

763年

最期

75歳で、座ったまま西を向いて静かに亡くなったという。弟子の忍基らがつくった鑑真和上像が、今も唐招提寺に残っている。

この時代に起きたこと

よくある質問

Q. 鑑真は何をした人ですか?

A. 唐(中国)の高僧で、日本に正しい戒律を伝えるため海を渡りました。5回の渡航に失敗し、その間に視力を失ったと伝わりますが、753年に6回目でついに来日しました。東大寺に戒壇を設け、のちに唐招提寺を開きました。

Q. 鑑真はいつの時代の人ですか?

A. 奈良時代の人物です。688年に生まれ、763年(天平宝字7年)に亡くなりました。

Q. 鑑真の出身地はどこですか?

A. 鑑真は唐の揚州(現在の中国江蘇省揚州市)の生まれです。

Q. 鑑真は何回目の航海で日本に来ましたか?

A. 6回目です。743年ごろから渡航を試みましたが、役人の妨げや嵐で5回失敗し、753年にようやく薩摩(現在の鹿児島県)にたどり着きました。

参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata

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