何をした人?
唐(中国)の高僧で、日本に正しい戒律を伝えるため海を渡りました。5回の渡航に失敗し、その間に視力を失ったと伝わりますが、753年に6回目でついに来日しました。東大寺に戒壇を設け、のちに唐招提寺を開きました。
| 名前 | 鑑真 |
|---|---|
| 生没年 | 688年 – 763年(天平宝字7年) |
| 時代 | 奈良時代 |
| 出身地 | 唐の揚州(現在の中国江蘇省揚州市) |
| 別名 | 過海大師 |
| 主な業績 |
|
唐の揚州(今の中国江蘇省)に生まれた。父は仏教を深く信じる人だったと伝わる。
13歳のとき、父に連れられて行った寺で仏像を見て心を動かされ、出家を願ったという。揚州の大雲寺で僧となった。
都の長安で正式な僧となる戒を受け、戒律(僧が守るべききまり)を深く学んだ。
故郷の揚州に戻り、大明寺などで戒律を講じた。生涯に四万人以上に戒を授けたと伝わり、唐でも名高い律宗の僧となった。
日本から来た僧・栄叡と普照が「日本に戒律を伝える師を」と頼んだ。日本には正式に戒を授けられる僧がいなかった。弟子たちが海の危険を恐れてためらう中、鑑真は「誰も行かないなら私が行こう」と言った。
渡航の準備を始めたが、密告によって船を取り上げられた。次の試みも船が難破し、失敗が続いた。
5度目の航海では嵐にあい、遠く南の海南島まで流された。
揚州へ戻る長い旅の途中で、ともに苦労してきた栄叡が病で亡くなった。鑑真自身も、このころ目が見えなくなったと伝わる(諸説あり)。それでも日本へ行く決意は揺らがなかった。
帰国する遣唐使の船にひそかに乗りこみ、6度目の挑戦で薩摩(鹿児島県)にたどり着いた。最初の願いから11年が過ぎ、65歳になっていた。
平城京に入り、東大寺の大仏殿の前に戒壇を設けて、聖武上皇・光明皇太后・孝謙天皇らに戒を授けた。日本で初めての正式な授戒だった。
朝廷からもらった土地に唐招提寺を開き、弟子たちを育てた。薬の知識も伝えたといわれる。
75歳で、座ったまま西を向いて静かに亡くなったという。弟子の忍基らがつくった鑑真和上像が、今も唐招提寺に残っている。
A. 唐(中国)の高僧で、日本に正しい戒律を伝えるため海を渡りました。5回の渡航に失敗し、その間に視力を失ったと伝わりますが、753年に6回目でついに来日しました。東大寺に戒壇を設け、のちに唐招提寺を開きました。
A. 奈良時代の人物です。688年に生まれ、763年(天平宝字7年)に亡くなりました。
A. 鑑真は唐の揚州(現在の中国江蘇省揚州市)の生まれです。
A. 6回目です。743年ごろから渡航を試みましたが、役人の妨げや嵐で5回失敗し、753年にようやく薩摩(現在の鹿児島県)にたどり着きました。
参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata
この人の一生をたどる(自動再生)教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。