日本史人生シミュレーター

紫式部

女房・作家
時代:平安時代 / 973年〜1014年(41歳ほど)

何をした人?
平安時代中期の女房(宮中に仕える女性)で、長編物語『源氏物語』の作者です。藤原道長の娘で一条天皇の中宮となった彰子に仕え、宮中の様子を『紫式部日記』に書き残しました。本名や正確な生没年はわかっていません(諸説あり)。

プロフィール

名前紫式部
生没年973年 – 1014年
時代平安時代
別名藤式部(宮仕えでの呼び名)
主な業績
  • 『源氏物語』を書く
  • 中宮彰子に仕える
  • 『紫式部日記』を残す
この人の一生をたどる(自動再生)

歩んだ道

973年

誕生

学者・藤原為時の娘として生まれた(生年は諸説あり)。幼いころに母を亡くし、父のもとで育った。本当の名前は伝わっていない。

983年

男ならば

兄(弟とも)が父から習う漢文を、そばで聞いているだけで先に覚えてしまった。父は「この子が男でなかったのが残念だ」と嘆いたと、のちに自分の日記に書いている。

996年

越前へ

父が越前(福井県)の国司となり、ともに雪国へ下った。都育ちの彼女にとって、雪深い土地での暮らしは忘れられない経験となった。

998年

結婚

ひとり都に戻り、年の離れた藤原宣孝と結婚した。翌年、娘の賢子が生まれた。賢子はのちに歌人・大弐三位として知られる。

1001年

夫との別れ

夫が流行り病で亡くなった。わずか3年ほどの結婚生活だった。悲しみの中で彼女は物語を書き始めたといわれ、それが『源氏物語』の始まりだと考えられている。

1006年

宮仕え

物語の評判を聞いた藤原道長にまねかれ、娘で一条天皇の中宮・彰子に仕えた(1005年説も)。漢文が読めることを隠し、「一」という字も書けないふりをしていたと日記に書いている。

1008年

源氏物語と日記

彰子が皇子を産み、宮廷は祝いにわいた。そのようすを『紫式部日記』に書き残した。祝いの席で藤原公任が「このあたりに若紫はいませんか」と呼びかけたと記しており、『源氏物語』がすでに読まれていたことが分かる。

1010年

日記の言葉

このころ日記をまとめた。清少納言については「得意顔で漢字を書き散らしている」と厳しい言葉も残している。宮廷の人々を見る目は鋭く、自分自身の孤独な心もつづった。

1013年

彰子のそばで

一条天皇が亡くなったあとも、皇太后となった彰子に仕え続け、貴族との取り次ぎ役をつとめていたことが、藤原実資の日記からうかがえる。

1014年

最期

このころ亡くなったと考えられている(没年は諸説あり)。光源氏とその子孫の一生を描いた長い物語は、千年後の今も世界中で読まれている。

この時代に起きたこと

よくある質問

Q. 紫式部は何をした人ですか?

A. 平安時代中期の女房(宮中に仕える女性)で、長編物語『源氏物語』の作者です。藤原道長の娘で一条天皇の中宮となった彰子に仕え、宮中の様子を『紫式部日記』に書き残しました。本名や正確な生没年はわかっていません(諸説あり)。

Q. 紫式部はいつの時代の人ですか?

A. 平安時代の人物です。973年に生まれ、1014年に亡くなりました。

Q. 『源氏物語』とはどんな作品ですか?

A. 光源氏という貴公子の恋と人生、そしてその子孫の物語を描いた、全54帖の長編物語です。1008年には宮中で読まれていたことが『紫式部日記』からわかり、世界でも古い長編小説の一つとされます。

参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata

この人の一生をたどる(自動再生)

関係する人物

清少納言藤原道長

同じ時代の人物(平安)

坂上田村麻呂最澄空海菅原道真清少納言藤原道長藤原頼通平清盛

平安の人物一覧 ・ 時代別の人物一覧

教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。

人物一覧へ