下野の小中村(栃木県佐野市)で、名主の家に生まれた。
若くして村の名主となった。
村人のために領主の不正を訴え、牢に入れられた。
栃木県の県会議員となり、自由民権運動にも加わった。
第一回の衆議院議員選挙で当選した。
足尾銅山から流れ出た鉱毒で渡良瀬川の流域の田畑が荒れていることを、議会で取り上げた。
議員をやめ、明治天皇に直接、鉱毒の被害を訴えようとした。
鉱毒を沈めるための遊水地にされようとした谷中村に移り住み、村人とともに反対した。
谷中村の家々が強制的に取りこわされたが、残った人々とともに暮らし続けた。
運動を続けるなか、病のために亡くなった。残された持ち物は、笠や日記、聖書などわずかだったという。
後藤象二郎渋沢栄一黒田清隆伊藤博文大山巌新島襄井上勝西郷従道
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。