会津藩の砲術の師範の家・山本家に生まれた。兄の覚馬から砲術を学んだ。
会津戦争で男の服を着て銃を持ち、城にたてこもって戦った。
兄の覚馬をたよって京都に移り、女性の学校で教えた。
新島襄と結婚し、キリスト教の洗礼を受けた。夫を助けて同志社を支えた。
夫の襄が亡くなった。
日清戦争のとき、日本赤十字社の看護婦として広島の病院で負傷兵を看護した。
日露戦争でも看護の仕事にあたった。
晩年は茶道に打ちこみ、京都で亡くなった。
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。