土佐藩の高知で、足軽の家に生まれた。
長崎に出て、フランス語を学び始めた。
岩倉使節団とともに出発し、フランスで学んだ。
帰国して、フランスの学問を教える塾を開いた。
西園寺公望らと『東洋自由新聞』をつくり、自由と権利を説いた。
ルソーの『社会契約論』を漢文に訳した『民約訳解』を出し、「東洋のルソー」とよばれた。
『三酔人経綸問答』を出した。この年、東京から追放された。
第一回の衆議院議員選挙で当選したが、翌年に議員をやめた。
重い病で残りの命が短いと告げられ、『一年有半』を書いた。その年に亡くなった。
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。