日本史人生シミュレーター

北条政子

頼朝の妻・尼将軍
時代:平安末〜鎌倉時代 / 1157年〜1225年(68歳ほど)

何をした人?
源頼朝の妻で、頼朝の死後は出家して「尼将軍」と呼ばれ、鎌倉幕府を支えました。1221年の承久の乱では、動揺する御家人たちに頼朝の恩を説いて団結させたと伝わり、幕府の勝利につながりました。

プロフィール

名前北条政子
生没年1157年(保元2年) – 1225年(嘉禄元年)
時代平安末〜鎌倉時代
出身地伊豆国(現在の静岡県伊豆の国市あたり)
別名尼将軍、二位尼
主な業績
  • 頼朝の妻として幕府の成立を支える
  • 頼朝の死後、幕府の政治を後見する
  • 承久の乱(1221年)で御家人をまとめる
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歩んだ道

1157年

誕生

伊豆の豪族・北条時政の娘として生まれた。

1177年

頼朝との結婚

このころ、流人の源頼朝と結ばれた。平氏をおそれた父は別の相手と結婚させようとしたが、政子は雨の夜に頼朝のもとへ逃れたと伝わる。のちに父も二人を認め、頼朝の味方となった。

1180年

夫の挙兵

頼朝が平氏に対して兵を挙げた。戦いのあいだ、政子は伊豆山神社にかくまわれ、夫の無事を祈った。やがて鎌倉に移った。

1182年

頼家の誕生

長男の頼家を産んだ。同じころ、頼朝が別の女性を大切にしていると知り、その女性の住む家を壊させる激しい一面を見せたと伝わる(亀の前事件)。

1186年

静をかばう

義経をしたって舞った静御前に頼朝が怒ったとき、「私もかつて同じ思いでした」と、流人の頼朝を思った自分の心を語ってとりなしたと伝わる。

1192年

実朝の誕生

頼朝が征夷大将軍になったこの年、次男の実朝を産んだ。

1197年

娘を失う

長女の大姫が病で亡くなった。許婚を父に討たれてから心を病んでいた娘の死に、政子は深く悲しんだ。

1199年

夫の死と出家

頼朝が亡くなり、政子は出家して尼となった。17歳の頼家が跡を継いだが、有力な御家人13人の話し合いで政治を進めることになった。

1203年

比企氏の変

頼家の妻の実家・比企氏と北条氏が対立し、比企氏がほろぼされた。頼家は将軍の座を追われて伊豆の修禅寺に移され、翌年命を落とした。11歳の実朝が将軍となり、父の時政が執権となった。

1205年

父を退ける

父の時政と後妻の牧の方が実朝を退けようとした(牧氏事件)。政子は弟の義時とともに実朝を守り、父を伊豆へ隠居させた。

1219年

実朝の死

将軍の実朝が鶴岡八幡宮で、頼家の子・公暁に討たれ命を落とした。政子は夫と子どもすべてを失った。源氏の将軍は三代で絶え、京都から幼い藤原頼経を迎えた。政子が後見して政治を動かし、「尼将軍」と呼ばれた。

1221年

承久の乱

後鳥羽上皇が幕府を倒そうと兵を挙げた。動揺する御家人を前に、政子は「頼朝公の御恩は山よりも高く、海よりも深い」と訴えたと伝わる。御家人は団結して上皇方を破り、幕府の力は西国にも及んだ。

1224年

最後の務め

弟の義時が亡くなり、跡継ぎをめぐる争いが起きかけた(伊賀氏の変)。政子はすばやく動き、甥の泰時を執権にして幕府を安定させた。

1225年

最期

68歳で亡くなった。夫と子どもを失いながらも、最後まで幕府と御家人を守り続けた一生だった。

この時代に起きたこと

よくある質問

Q. 北条政子は何をした人ですか?

A. 源頼朝の妻で、頼朝の死後は出家して「尼将軍」と呼ばれ、鎌倉幕府を支えました。1221年の承久の乱では、動揺する御家人たちに頼朝の恩を説いて団結させたと伝わり、幕府の勝利につながりました。

Q. 北条政子はいつの時代の人ですか?

A. 平安末〜鎌倉時代の人物です。1157年(保元2年)に生まれ、1225年(嘉禄元年)に亡くなりました。

Q. 北条政子の出身地はどこですか?

A. 北条政子は伊豆国(現在の静岡県伊豆の国市あたり)の生まれです。

Q. 承久の乱とは何ですか?

A. 1221年、後鳥羽上皇が幕府を倒そうと兵を挙げた戦いです。幕府軍が京都を攻めて勝ち、上皇は隠岐に流されました。これ以後、幕府の力が西日本にも強く及ぶようになりました。

参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata

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