日本史人生シミュレーター

法然

僧(浄土宗の開祖)
時代:平安末〜鎌倉時代 / 1133年〜1212年(79歳ほど)
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歩んだ道

1133年

誕生

美作(岡山県)の武士・漆間時国の子として生まれた。幼い名は勢至丸。

1141年

父の遺言

8歳のとき、父が争いにより夜討ちにあって命を落とした。父は「かたきをうらむな。仇討ちをすれば争いは終わらない。出家して皆が救われる道を求めよ」と言い残したと伝わる。

1145年

比叡山へ

このころ比叡山に上り、天台宗の学問を学び始めた(年は諸説あり)。たいへんな勉強家で「智恵第一の法然房」と呼ばれた。

1150年

黒谷へ

17歳で、比叡山の奥にある黒谷にこもり、師の叡空のもとで修行した。出世を望まず、ひたすら救いの道を求めた。「法然」の名はこのころからのもの。

1156年

悩みの日々

保元の乱が起きたこの年、京都の清凉寺などに参り、学問だけでは救われない人々の道を探して悩み続けたと伝わる。

1175年

専修念仏

中国の僧・善導の書を読み、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、だれでも極楽浄土に生まれられるという教えにたどりついた。42歳で比叡山を下り、京都の東山で教えを広め始めた。浄土宗の始まりとされる。

1186年

大原問答

京都の大原で、さまざまな宗派の学僧たちと念仏について語り合い、多くの人を感心させたと伝わる(年は諸説あり)。

1198年

選択本願念仏集

関白・九条兼実の願いで、念仏の教えをまとめた『選択本願念仏集』を書いた。貴族から武士、庶民まで、身分を問わず多くの人が教えを求めて集まった。

1201年

親鸞との出会い

比叡山を下りた若い僧・親鸞が弟子となった。親鸞は生涯、師の法然を深くしたい続けた。

1204年

七箇条制誡

比叡山の僧たちが念仏の禁止を求めると、弟子たちに行き過ぎた行いをいましめる「七箇条制誡」を示し、署名させた。

1207年

讃岐への流罪

弟子の行いが問題とされ、念仏が禁じられた。法然は僧の資格を奪われ、四国の讃岐へ流された。弟子のうち数人は死罪となった。それでも法然は、地方の人々に教えを説く機会だと語ったと伝わる。

1211年

京都へ戻る

罪を許され、京都の東山大谷に戻った。年老いた体は弱っていた。

1212年

最期

亡くなる直前、弟子の願いに応えて、念仏の教えの要点を短く書いた『一枚起請文』を残した。念仏を唱えながら静かに息を引き取った。

この時代に起きたこと

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