日本史人生シミュレーター

親鸞

僧(浄土真宗の開祖)
時代:鎌倉時代 / 1173年〜1262年(89歳ほど)
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歩んだ道

1173年

誕生

京都の下級貴族・日野有範の子として生まれた。幼いころに両親と別れたと伝わる。

1181年

8歳の出家

8歳で、のちに天台座主となる慈円のもとで出家した。夜に出家を願い、「明日があると思う心の桜は、夜中の嵐に散るかもしれない」と詠んだという話が伝わる(伝説)。その後20年近く比叡山で修行した。

1201年

法然との出会い

比叡山の修行では悩みが解けず、28歳で山を下りた。京都の六角堂に百日こもり、夢のお告げを受けて法然を訪ね、その弟子となった。「法然にだまされて地獄に落ちても後悔しない」とまで語ったと『歎異抄』は伝える。

1205年

師に認められる

法然の『選択本願念仏集』を書き写すことを許された。限られた弟子にしか許されないことで、師から深く信頼されていたことが分かる。

1207年

越後への流罪

念仏が禁じられ、師の法然は讃岐へ、親鸞は越後(新潟県)へ流された。師とはこれが永遠の別れになった。越後で恵信尼と結婚し、子どもたちが生まれた。僧が妻を持つことを公にし、自らを「僧でもなく俗人でもない」と語った。

1211年

許される

流罪を許されたが、翌年に法然が亡くなったこともあり、すぐには京都へ戻らなかった。

1214年

関東へ

妻子を連れて関東へ移り、常陸(茨城県)の稲田などを拠点に、約20年にわたって農民や武士に教えを広めた。

1224年

教行信証

このころ、主な著書『教行信証』を書き始めたとされる(浄土真宗の始まりとされる年)。阿弥陀仏を信じる心が起きたとき救いは決まる、という教えを説いた。

1235年

京都へ

このころ京都に戻り、執筆に打ちこんだ。関東の弟子たちとは手紙で教えを伝え合った。悪人こそ救われるという「悪人正機」の考えは、弟子の唯円がまとめた『歎異抄』に記されている。

1256年

子との別れ

関東で誤った教えを広めた長男の善鸞を、83歳で親子の縁を切った。つらい決断だったと伝わる。

1262年

最期

京都で、末娘の覚信尼らに見守られて89歳で亡くなった。その教えはのちに本願寺を中心に大きく広まった。

この時代に起きたこと

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