香川県の丸亀で、陸軍の軍人大杉東の長男として生まれた。父の転任にともない、幼いころに新潟県の新発田へ移り、そこで育った。軍人の町で育った少年は、自分も軍人になることを目指していた。
名古屋の陸軍幼年学校に入学した。しかし規則ずくめの生活になじめず、反抗的な態度から何度も罰を受けたとされる。軍人を目指して入った学校で、かえって権力や命令に対する強い反発が育っていった。
同級生とのけんかで大けがをしたことなどから、幼年学校を退学させられた。軍人への道を断たれた大杉は東京に出て、語学の勉強を始めた。人生の方向が大きく変わる転機となった。
東京外国語学校のフランス語科に入った。このころ幸徳秋水や堺利彦らの平民社に出入りし、社会主義の考えにふれた。日露戦争に反対する彼らの主張に共感し、社会運動の道へ進んでいった。
東京の電車賃の値上げに反対する運動に加わって捕らえられ、初めて獄に入った。こののちも何度も投獄されたが、獄中では毎回一つの外国語を学ぶと決め、「一犯一語」と称して語学を身につけたと伝わる。
社会主義者の集まりで赤い旗をかかげて街に出たところを警察とぶつかり、捕らえられた(赤旗事件)。約2年半の刑を受けた。このため1910年の大逆事件のときは獄中にあり、多くの仲間が罪に問われる中で難を逃れた。
大逆事件の後、社会運動がきびしく取りしまられる「冬の時代」の中で、荒畑寒村とともに雑誌『近代思想』を出した。文学や思想を語る形で、個人の自由や自分で考えることの大切さを訴え、若い読者に影響を与えた。
妻がありながら神近市子や伊藤野枝と恋愛関係にあり、葉山の日蔭茶屋で神近に刃物で傷つけられ、大けがを負った。この事件は世間を大きく騒がせ、多くの仲間が大杉から離れた。その後、伊藤野枝と生活をともにした。
フランスの博物学者ファーブルの『昆虫記』の最初の巻を日本語に訳して出版した。小さな生き物の暮らしを細かく観察する本に強くひかれていたとされる。この年の暮れ、国際会議に出るため、ひそかにフランスへ渡った。
パリ近くのサン・ドニで開かれたメーデーの集会で演説し、フランスの警察に捕らえられた。旅券を持たずに入国していたことがわかり、国外へ追放されて日本へ帰った。自由を求める行動は、国の外でもかわらなかった。
関東大震災の混乱の中、伊藤野枝と幼いおいとともに憲兵隊に連れ去られ、3人とも命を奪われた。38歳だった。この甘粕事件は、軍の権力が個人の命を不当に奪った出来事として、今も歴史の中で問われ続けている。
志賀直哉竹久夢二北原白秋武者小路実篤平塚らいてう松井須磨子山田耕筰萩原朔太郎
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。