日本史人生シミュレーター

萩原朔太郎

詩人
時代:明治〜昭和時代 / 1886年〜1942年(56歳ほど)
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歩んだ道

1886年

誕生

群馬県の前橋で、医者の萩原密蔵の長男として生まれた。体が弱く神経質な子どもで、ひとりで空想にふけることが多かったという。

1903年

短歌を詠む

このころ、中学生のうちから短歌をつくり、与謝野鉄幹・晶子の雑誌『明星』に歌が載った。

1910年

迷いの日々

高校に進んだが落第をくり返して退学し、そのあと大学も中退した。進む道に迷いながら、マンドリンやギターに熱中し、音楽家を夢見たこともあった。

1913年

白秋と犀星

北原白秋の雑誌『朱欒』に詩が載り、詩人として歩み始めた。同じ雑誌に詩を寄せていた室生犀星と知り合い、生涯の親友となった。

1914年

人魚詩社

犀星や山村暮鳥とともに、詩や音楽を研究する人魚詩社をつくった。三人は詩・宗教・音楽の研究をかかげ、翌年には機関誌『卓上噴水』を出した。

1916年

雑誌『感情』

犀星と二人で、詩の雑誌『感情』を創刊した。新しい口語の詩を発表する場となった。

1917年

月に吠える

第一詩集『月に吠える』を出した。話し言葉で、病的なまでに鋭い感覚を表した詩は、日本の口語自由詩を完成させたと高く評価された。一部の詩は、風俗を乱すとして削除させられた。

1923年

青猫

詩集『青猫』を出し、都会に生きる人の憂うつやさびしさを、音楽のような言葉で歌った。

1925年

東京へ

家族とともに東京に移り住んだ。詩の評論や随筆も多く書き、芥川龍之介ら作家とも交わった。

1929年

離婚と帰郷

妻と別れ、二人の娘を連れて前橋の実家に戻った。このころの苦しい思いは、のちの詩に深い影を落とした。

1934年

氷島

漢文調の力強い言葉で、孤独と絶望を歌った詩集『氷島』を出した。この年から明治大学で詩の講義も行った。

1942年

最期

肺炎のため東京で亡くなった。日本の近代詩を大きく変えた人として「日本近代詩の父」とも呼ばれる。ふるさとの前橋には、朔太郎の記念館がある。

この時代に起きたこと

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関係する人物

北原白秋芥川龍之介

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