日本史人生シミュレーター

堺利彦

平民社を開いて非戦を訴え、冬の時代も社会主義運動を支え続けた
時代:明治〜昭和時代 / 1871年〜1933年(62歳ほど)
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歩んだ道

1871年

豊前の士族の家に生まれる

豊前国、今の福岡県みやこ町に、落ちぶれた士族の三男として生まれた。号は枯川という。地元の豊津中学校を一番の成績で卒業して東京に出たが、第一高等中学校では学費を納められず、学校を去ることになった。その後は大阪や福岡で記者や教員をしながら小説を書いた。

1899年

萬朝報の記者となる

同郷の末松謙澄に招かれて毛利家の歴史書の編さんに加わったのち、黒岩涙香の新聞萬朝報の記者となった。社会を良くするための論説を書き、話し言葉に近い文章を広めようとした。同僚には内村鑑三や幸徳秋水がおり、生涯の友となる幸徳とはここで深く結ばれた。

1901年

理想団をつくる

社主の黒岩涙香や同僚の内村鑑三、幸徳秋水らとともに、社会の改良を目指す理想団という団体をつくった。この活動を通じて、貧しい人々の苦しみをなくすための社会主義の考えに強く共鳴するようになった。のちに戦争に反対する考えも唱えるようになっていく。

1903年

平民社を開く

ロシアとの戦争が近づく中、萬朝報が戦争に反対する立場から賛成へと方針を変えたため、内村や幸徳とともに会社を辞めた。そして幸徳とともに平民社を開き、週刊の平民新聞を出して、戦争に反対し社会主義を広める運動を始めた。信念を曲げない、勇気ある決断であった。

1904年

共産党宣言を訳す

日露戦争のさなか、幸徳とともに平民新聞にマルクスとエンゲルスの共産党宣言を翻訳して載せた。英語の訳からの訳ではあったが、日本で初めての翻訳であった。戦争に反対する言論は政府から厳しく取り締まられ、新聞はたびたび発売を禁じられた。

1906年

日本社会党をつくる

社会主義の運動を広げるため、日本社会党を結成し、その中心メンバーとなった。前の年からは世界共通語をめざすエスペラントにも関心を寄せ、日本エスペラント協会の役員も務めた。日本の社会主義運動の指導者として、各地の仲間と連絡を取り合いながら活動した。

1908年

赤旗事件で牢に入る

仲間の出獄を祝う集まりで赤い旗を掲げた若者たちが警察と衝突した赤旗事件で捕らえられ、二年の刑を受けて牢に入った。厳しい取り締まりの中で、運動は大きな打撃を受けた。しかしこの入獄が、のちに思いがけず堺の命を救うことになる。

1910年

売文社を開く

牢にいる間に大逆事件が起こり、多くの社会主義者が捕らえられたが、堺は獄中にいたため巻きこまれずにすんだ。出獄後、社会主義者が活動できない冬の時代を生きぬくため、文章の代筆や翻訳を請け負う売文社を開いた。仲間に仕事を与え、生活を支える場ともなった。

1911年

友を失う悲しみ

大逆事件の裁判で、萬朝報以来の友である幸徳秋水らが死刑となり、その命が奪われた。堺は深い悲しみに沈んだ。それでも残された家族を訪ねて回ったと伝わり、仲間を思う心の厚さを示した。堺は全国の社会主義者との連絡を保ち続け、運動の火を絶やさなかった。

1914年

雑誌へちまの花を出す

売文社から雑誌へちまの花を出し、のちに後継の雑誌新社会へと発展させた。ユーモアをまじえた文章で、厳しい取り締まりの中でも社会主義の考えを伝え続けた。また多くの翻訳を通じて、欧米の社会主義の思想や運動、西洋の文学を日本に紹介することに努めた。

1920年

日本社会主義同盟を結ぶ

大正の世になり言論が少しずつ自由になる中で、さまざまな考えの社会主義者や労働運動の人々を集めた日本社会主義同盟を結成した。しかし翌年には政府によって活動を禁じられてしまった。冬の時代を越えて、運動を立て直そうとする試みであった。

1922年

共産党に加わり、のちに離れる

山川均や荒畑寒村らとともに、ひそかにつくられた最初の日本共産党に加わった。同じ年には、堺が訳した共産党宣言がひそかに出版された。しかしのちに山川らの考えに同調して党を離れ、労農派と呼ばれる立場に加わった。運動の進め方をめぐり、仲間の間でも考えは分かれていた。

1929年

東京市会議員に当選する

東京無産党をつくって活動を続け、この年、東京市会議員の選挙に当選した。牢に入れられ、冬の時代を耐えてきた社会主義者が、選挙で選ばれて議会の場に立ったのである。働く人々の暮らしを守るため、政治の場からも声を上げ続けた。

1931年

故郷で農民学校を開く

故郷に近い福岡県の行橋で、寺子屋のような農民学校を開き、農村の人々に学びの場を届けようとした。しかしこの年の暮れ、脳の病気で倒れ、療養生活に入った。翌年には病状が悪くなって入院したが、ひと月ほどで退院した。

1933年

枯川の生涯を閉じる

病状が再び悪くなり、東京の麹町の自宅で亡くなった。弾圧や入獄、友の死に直面しながらも、ユーモアを忘れず、社会主義運動の灯を守り続けた生涯であった。厳しい時代にも仲間を支え続けたその姿は、多くの人々に慕われた。

この時代に起きたこと

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関係する人物

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