江戸の火消しの役人・安藤家に生まれた。
両親を亡くし、幼くして火消しの役目を継いだ。
浮世絵師の歌川豊広に弟子入りし、翌年「広重」の名をもらった。
このころ、火消しの役目を親類にゆずり、絵師の仕事に専念した。
東海道の宿場の風景をえがいた「東海道五十三次」を出し、大評判となった。雨や雪など天気や季節の移り変わりが美しくえがかれている。
渓斎英泉とともに、中山道の宿場をえがいた「木曽街道六十九次」を出した。
江戸の名所を四季とともにえがいた「名所江戸百景」を出し始めた。大胆な構図は、のちにヨーロッパの画家たちにも影響をあたえた。
江戸ではやったコレラにかかって亡くなったといわれる。
渡辺崋山水野忠邦ペリーシーボルト歌川国芳高島秋帆宇田川榕菴徳川斉昭
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。