肥前の唐津藩主・水野家に生まれた。
唐津藩主となった。幕府の政治にかかわりたいと強く願った。
幕府の要職につくため、自ら願って遠江の浜松藩に移った。
寺社奉行、大坂城代、京都所司代などを経て、老中の一歩手前まで進んだ。
老中となり、のちに老中の筆頭となった。
大御所の徳川家斉が亡くなると、天保の改革を始めた。ぜいたくを禁じる倹約令や株仲間の解散、江戸に出た農民を村に帰す人返しの法などを行った。
江戸と大坂の周りの土地を幕府の領地にしようとする上知令を出したが、大名や旗本の強い反対にあい、老中をやめさせられた。
一度は老中にもどされたが、翌年にやめ、のちに罰を受けて領地を減らされた。
亡くなった。
会沢正志斎二宮尊徳大塩平八郎渡辺崋山ペリーシーボルト歌川広重歌川国芳
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。