日本史人生シミュレーター

歌川国芳

浮世絵師
時代:江戸時代 / 1797年〜1861年(64歳ほど)
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歩んだ道

1797年

誕生

江戸の日本橋で、染物屋の柳屋吉右衛門の子として生まれたとされる(生まれた場所には別の言い伝えもある)。幼いころから絵が好きで、染物の柄や絵本を見ながら絵を描いていたという。

1811年

豊国に入門

14歳で、人気浮世絵師の初代歌川豊国に入門した。その才能は早くから豊国に認められていたと伝わる。のちには勝川春亭らにも学び、さまざまな画風を取り入れた。

1814年

売れない日々

このころから役者絵や本のさし絵を描き始めたが、兄弟子の国貞らの人気に押され、なかなか売れなかった。苦しい時期が十年あまり続いた。

1827年

水滸伝の武者絵

このころ、中国の物語『水滸伝』の豪傑を一人ずつ描いた『通俗水滸伝豪傑百八人之一個』を出し、大評判となった。力強い体や入れ墨を迫力たっぷりに描き、「武者絵の国芳」と呼ばれるようになった。

1833年

洋風の風景画

このころ、西洋の銅版画を研究して遠近法や陰影を取り入れ、風景画『東都名所』を描いた。空や水の表し方に新しい工夫を見せ、風景画でも才能を発揮した。

1842年

天保の改革

天保の改革で役者絵や遊女の絵が禁じられ、出版の取りしまりが厳しくなった。国芳は動物や妖怪を人のように描いたり、魚に人の顔をつけたりするユーモラスな戯画を工夫し、禁令をかいくぐりながら作品を出し続けた。

1843年

土蜘蛛の絵

源頼光の土蜘蛛退治を描いた『源頼光公館土蜘作妖怪図』を出した。絵の中の妖怪や人物が幕府の政治を皮肉っていると評判になり、大いに売れたと伝わる。

1845年

相馬の古内裏

このころ、巨大な骸骨が画面いっぱいにせまる三枚続きの『相馬の古内裏』を描いた。大胆な構図と、西洋の解剖図を参考にしたとされる正確な骨の形が、見る人をおどろかせた。

1847年

寄せ絵

このころ、たくさんの人の体を組み合わせて一人の顔をつくる『みかけハこハゐがとんだいゝ人だ』などの寄せ絵を描いた。遊び心あふれるだまし絵は、今も多くの人に親しまれている。

1850年

猫と弟子たち

大の猫好きで、いつも何匹もの猫を飼い、ふところに猫を入れたまま絵を描いたと伝わる。面倒見のよい親分肌で、月岡芳年ら多くの弟子が集まった。幼いころの河鍋暁斎も一時入門していた。

1861年

最期

江戸で亡くなった。奇想天外な発想と大胆な構図はいったん忘れられかけたが、近年あらためて高く評価され、国芳の作品は展覧会で大人気となっている。弟子たちは明治時代の浮世絵や日本画を支えた。

この時代に起きたこと

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関係する人物

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