何をした人?
明治から大正にかけての実業家で、安田財閥の創始者です。富山の足軽の家に生まれ、江戸で奉公したのち両替商の安田屋を開きました。安田銀行を設立し、銀行を中心に多くの会社を育てました。東京大学の安田講堂や日比谷公会堂のもとになる寄付をしたことでも知られます。
| 名前 | 安田善次郎 |
|---|---|
| 生没年 | 1838年(天保9年) – 1921年(大正10年) |
| 時代 | 江戸末〜大正時代 |
| 出身地 | 越中国富山 |
| 主な業績 |
|
越中の富山藩の身分の低い武士である足軽、安田善悦の長男として生まれた。幼い名は岩次郎。家は武士の身分を買った、農業もする半農半士の暮らしだった。少年のころから、もうけを上げる商人の姿を見て、自分も商売で身を立てたいと考えるようになったと伝わる。
故郷を出て江戸に上り、商家の奉公人となった。初めはおもちゃ屋で、次に鰹節屋とお金の両替を兼ねる店で働いた。お金を扱う仕事の中で、両替の商売のしくみや、信用を守ることの大切さを学んでいった。倹約を重ね、少しずつ独立のための資金をためた。
日本橋で、乾物を売りお金の両替もする小さな店、安田屋を開いて独立した。同じ年には刷毛屋の娘である房子と結婚した。間もなく店の名を安田商店と改め、両替を商売の中心に据えた。誠実な仕事ぶりで信用を集め、幕府の古いお金の回収の仕事なども引き受けたとされる。
明治維新で新しい政府が生まれると、政府が発行した紙幣である太政官札は信用が低く、値打ちが下がっていた。善次郎はこの紙幣の流通に協力し、大きな利益を得たとされる。時代の大きな変わり目を商売の好機ととらえる判断が、のちの大きな成功の土台になった。
国立銀行条例のもとで設立された第三国立銀行の初代頭取となった。両替商から近代的な銀行の経営者へと、立場を大きく変えた。2年後には東京府会の議員にも選ばれ、商売だけでなく東京の町の政治にも関わるようになった。
安田商店をもとに安田銀行を設立し、事業の中心を銀行に移した。のちの富士銀行で、現在のみずほ銀行につながる銀行である。善次郎は金融を自分の天職と定め、預かったお金を確実に守る堅い経営を心がけた。経営が苦しくなった銀行を引き受けて立て直すことも多かった。
北海道の釧路で硫黄の鉱山の経営に乗り出し、硫黄を運ぶための釧路鉄道を敷き、燃料のための炭鉱も開いた。北アメリカへ硫黄を輸出するため、小さな漁港だった釧路港の発展にも力を入れた。こうした事業で釧路の町は大きく発展し、のちに善次郎は釧路から表彰された。
神田区から選ばれて東京市会の議員となった。帝国ホテルや電気鉄道などの会社づくりにも名を連ね、日本銀行の監事も務めて、国の経済の運営にも深く関わった。自分では事業を広げすぎないよう戒めたが、見込みのある人の事業にはしっかりお金を出した。
不動産の会社である東京建物を設立した。保険会社もつくり、銀行を中心に多くの会社をまとめる安田財閥が形づくられていった。同じ富山出身の実業家・浅野総一郎の事業を長く支え、浅野は感謝を込めて、鶴見の鉄道の駅に善次郎の名にちなむ「安善」と名づけたという。
東京帝国大学に講堂を建てる費用として100万円を、東京市に社会のための事業費として300万円を寄付した。善次郎は「寄付は名声のためでなく、人に知られずに行うべきだ」と考え、名前を出さずに寄付をしていた。そのため、生前はこれらの寄付が世間に知られていなかった。
神奈川県大磯の別荘で、面会を求めてきた男に襲われて亡くなった。男は富豪が社会への責任を果たしていないと思いこんでいたが、実際には善次郎は名前を伏せて多くの寄付をしていた。死後、東京大学の講堂は人々に安田講堂と呼ばれるようになり、日比谷公会堂も寄付によって建てられた。
A. 明治から大正にかけての実業家で、安田財閥の創始者です。富山の足軽の家に生まれ、江戸で奉公したのち両替商の安田屋を開きました。安田銀行を設立し、銀行を中心に多くの会社を育てました。東京大学の安田講堂や日比谷公会堂のもとになる寄付をしたことでも知られます。
A. 江戸末〜大正時代の人物です。1838年(天保9年)に生まれ、1921年(大正10年)に亡くなりました。
A. 安田善次郎は越中国富山の生まれです。
A. 安田善次郎が東京帝国大学に講堂を建てる費用として寄付をしたためです。善次郎は名前を出さずに寄付することを望んだと伝わり、講堂は善次郎が亡くなったあとに完成して、その名を記念して安田講堂と呼ばれるようになりました。
参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata
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