肥前の佐賀藩の武士の家に生まれた。
藩校を退いたあと蘭学を学び、のちに長崎で宣教師フルベッキから英語や欧米の政治を学んだ。
明治新政府に入り、外国との交渉で手腕を見せた。
参議と大蔵卿となり、国の財政をあずかった。
早く国会を開くことを主張したため、政府から追い出された。
立憲改進党をつくり、東京専門学校(のちの早稲田大学)を開いた。
外務大臣として条約改正に取り組んだが、反対する者に爆弾を投げつけられ、右足を失った。
板垣退助とともに、日本で初めての政党内閣をつくり、首相となった。
再び首相となり、第一次世界大戦に参戦した。翌年、中国に二十一か条の要求を出した。
東京で亡くなった。葬儀には多くの市民が集まった。
鍋島直正(閑叟)小松帯刀(清廉)副島種臣前島密松方正義黒田清隆井上勝星亨
井上馨板垣退助谷干城三条実美山県有朋モース後藤象二郎渋沢栄一
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。