肥後(熊本県)で、キリシタンの益田家に生まれたとされる(生年や生まれた所は諸説あり)。本名は益田時貞。
このころ、長崎で学問を学んだといわれる。かしこく、人々の前で奇跡を起こしたという話も伝わる。
このころ、島原・天草では凶作が続いたうえ、領主のきびしい年貢の取り立てやキリシタンへの迫害があり、人々は苦しんでいた。
島原・天草の人々が一揆を起こし、四郎は16歳で総大将にかつがれた。キリシタンの旗をかかげ、人々の心のよりどころとなった。
富岡城などを攻めたあと、島原半島の原城跡にこもった。女性や子どもをふくむ多くの人々が集まった(人数は諸説あり)。
幕府の大軍に囲まれ、食料がつきて原城は落ちた。四郎は討たれて命を落とし、立てこもった人々のほとんどが亡くなった。この後、幕府はキリシタンの取りしまりを強めた。
保科正之野中兼山河村瑞賢熊沢蕃山三井高利山鹿素行酒井忠清伊藤仁斎
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。