日本史人生シミュレーター

保科正之

会津藩主・将軍の補佐役
時代:江戸時代 / 1611年〜1673年(62歳ほど)
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歩んだ道

1611年

誕生

2代将軍徳川秀忠の子として生まれたが、母の身分などの事情から、ひそかに育てられた。武田信玄の娘・見性院が養育した。

1617年

保科家の養子

信濃の高遠藩主・保科正光の養子となった。

1631年

高遠藩主

養父の死により高遠藩主となった。異母兄の3代将軍家光は、のちに正之が弟と知って深く信頼した。

1643年

会津藩主

陸奥の会津23万石の藩主となった。

1651年

家綱を支える

家光は亡くなる前に、幼い4代将軍家綱を支えるよう正之にたのんだ。正之は、跡継ぎのない大名が亡くなる直前に養子を取ることを認め、浪人が増えるのを防いだ。

1653年

玉川上水

江戸の人々の飲み水を確保するため、玉川上水の工事を進めた。

1655年

社倉

会津で、ききんに備えて米をたくわえる社倉の制度をつくった。年をとった人に米をあたえるなど、民を大切にする政治を行った。

1657年

明暦の大火

江戸の大部分が焼ける大火事が起きた。焼けた江戸城の天守は建て直さず、そのお金を町の復興にあてた。

1663年

殉死の禁止

主君の死に家臣が後を追う殉死を禁じることを進めた。

1668年

家訓十五か条

会津藩の心がまえを記した家訓十五か条を定めた。将軍家への忠義を説くこの家訓は、幕末の会津藩の生き方にも大きな影響をあたえた。

1673年

最期

江戸で亡くなった。幕府の政治を武力から学問や法による政治へと移す役割を果たした名君とされる。

この時代に起きたこと

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