日本史人生シミュレーター

河村瑞賢

商人・航路と治水の事業家
時代:江戸時代 / 1618年〜1699年(81歳ほど)
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歩んだ道

1618年

誕生

伊勢国度会郡東宮村(三重県南伊勢町)の貧しい農家に生まれた。名は義通、通称は七兵衛などと伝わる。のちに瑞賢と号した。村には大きな仕事がなく、少年は早くから自分の力で身を立てる道を探さなければならなかった。

1630年

江戸へ出る

少年のころ江戸へ出て、車力(荷車引き)などをして働いた。お盆に川へ流されたキュウリやナスを拾い集めて漬物にし、工事場の人々に売って元手をつくったという話が伝わる。小さな工夫で商いを広げる才覚が、のちの成功のもとになった。

1657年

明暦の大火と木材

江戸の町の大半を焼いた明暦の大火のとき、瑞賢はすぐに木曽(長野県)へ向かい、山の木材を買い付けたと伝わる。焼け跡の町を建て直すため木材の値は大きく上がり、瑞賢は大きな利益を得て、材木商として名を知られるようになった。

1660年

幕府の工事を請け負う

このころから、幕府や大名の土木工事や建築を請け負うようになり、江戸でも指折りの商人となった。工事を通じて幕府の役人とも知り合い、物を運ぶ道や川の工事についての知識と経験を積み、その実力が認められていった。

1670年

年貢米を江戸へ

幕府から、陸奥(福島県)の幕府領の年貢米を江戸へ運ぶ方法を考えるよう命じられた。当時の船による米の輸送は時間がかかり、途中で米が失われることも多かった。瑞賢は船の通り道や港を自ら調べて、安全で速い航路を計画した。

1671年

東廻り航路を開く

阿武隈川の河口から太平洋を南へ進み、房総半島を回って伊豆の下田などを経て江戸に入る東廻り航路を整えた。途中の港に寄港地を定め、船の見張りや手続きの決まりもつくって、米を安全に早く運べるようにした。

1672年

西廻り航路を開く

続いて出羽(山形県)の幕府領の米を運ぶため、酒田から日本海を南へ進み、下関から瀬戸内海を通って大坂へ、さらに紀伊半島を回って江戸へ入る西廻り航路を整えた。この航路はのちに北前船の道となり、全国の物の流れを大きく変えた。

1684年

淀川の治水

幕府の命で大坂の淀川の治水工事にあたり、川の流れをよくするため九条島を切り開いて新しい川筋(のちの安治川)を通した。これで大坂の水害が減り、船の出入りもしやすくなった。工事は数年がかりで行われ、大坂の町の発展を支えた。

1698年

旗本に取り立てられる

長年の功績が認められ、町人の身分から幕府の旗本に取り立てられた。農家に生まれ、裸一貫で江戸に出た少年が、自分の才覚と努力で幕府の家臣にまでなったことは、当時としてもまれなことだった。

1699年

最期

江戸で亡くなった。瑞賢が開いた東廻り・西廻りの航路は、江戸時代の日本の物流の大動脈となり、米や品物が全国を行き来する経済の発展を支えた。新井白石は瑞賢の航路づくりや治水の仕事を『奥羽海運記』などに書き記し、その功績を後の世に伝えた。

この時代に起きたこと

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