日本史人生シミュレーター

伊藤仁斎

儒学者(古義学)
時代:江戸時代 / 1627年〜1705年(78歳ほど)
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歩んだ道

1627年

誕生

京都の堀川で、材木商の家の長男として生まれた。家は代々の町人で、家族は仁斎が家業を継ぐか、医者になって家を支えることを望んでいた。

1637年

学問を志す

このころ、儒学の書『大学』を読んで深く心を動かされ、学問の道に進むことを決めたと伝わる。家族や親類は「学問では食べていけない」と反対したが、仁斎はほとんど独学で儒学の勉強を続けた。

1655年

朱子学に悩む

若いころは当時の主流だった朱子学に打ちこみ、宋の学者たちの書物をくり返し読んだ。しかし考えつめるうちに心と体をこわし、このころから長く家にこもって静かに暮らした。

1662年

塾を開く

京都・堀川の自宅で塾を開いた。のちに「古義堂」と呼ばれるこの塾には、身分を問わず多くの人が集まり、門人は3000人にのぼったと伝わる。仁斎は町人の学者として生涯を過ごした。

1666年

古義学

このころ、朱子学の解釈をうたがい、『論語』や『孟子』を直接読んで、孔子・孟子のもともとの教えを知ろうとする古義学を唱えた。人と人との思いやりである「仁」を何より大切にし、毎日の暮らしの中の道徳を重んじた。

1670年

長男の誕生

長男の東涯が生まれた。東涯はのちに父の学問を受けつぎ、古義堂を守りながら、父の残した多くの書物を整理して世に出した。

1683年

論語古義

このころ、『論語古義』『孟子古義』『語孟字義』などの著作を、何十年もかけて書き直し続けた。仁斎は『論語』を「この世で最高の書」とたたえたことで知られる。

1700年

晩年の講義

晩年も講義を続け、大名から招かれても仕えることはなかったと伝わる。公家や武士、商人までが仁斎の講義を聞きに訪れ、京都を代表する学者として尊敬された。

1704年

徂徠からの手紙

江戸の若い学者・荻生徂徠から、教えを求める手紙が届いた。病気がちだった仁斎は返事を出せないまま翌年亡くなり、のちに徂徠は仁斎の学説を批判するようになったと伝わる。

1705年

最期

京都で亡くなった。著作の多くは死後、子の東涯たちの手で出版された。古義堂は伊藤家によって長く受けつがれ、その跡は今も京都の堀川に史跡として残っている。

この時代に起きたこと

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