江戸の日本橋で、魚屋の子として生まれた。
このころ、京都で儒学者の伊藤東涯に学んだ。
ききんに備えてさつまいもの栽培をすすめる『蕃薯考』を書いた。大岡忠相の推薦で将軍吉宗に認められ、試しに植える役目をまかされた。
小石川などで試しに植えて成功し、さつまいもは関東に広まった。のちに「甘藷先生」とよばれた。
幕府の書物を扱う役人となり、各地の古い文書を調べた。
吉宗の命令で、野呂元丈とともにオランダ語を学び始めた。のちに前野良沢にも教えた。
幕府の書物奉行となった。
江戸で亡くなった。
大岡忠相徳川吉宗石田梅岩賀茂真淵与謝蕪村伊藤若冲田沼意次前野良沢
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。