丹波の東懸村(京都府亀岡市)の農家に、次男として生まれた。
このころ、京都の商家に奉公に出たが、店がうまくいかず、のちに村へもどった。
再び京都に出て、呉服屋に奉公した。働きながら神道や儒学、仏教を独学した。
このころ、小栗了雲に出会って教えを受け、自分の考えを深めた。
京都の自宅で、だれでも無料で聞ける講座を開いた。正直や倹約を大切にし、商人の利益も正しいものだと説いた。この教えは石門心学とよばれた。
問答の形で教えをまとめた『都鄙問答』を出した。
倹約の大切さを説いた『斉家論』を出し、その年に亡くなった。教えは弟子たちによって全国に広まった。
荻生徂徠雨森芳洲大岡忠相徳川吉宗賀茂真淵青木昆陽与謝蕪村伊藤若冲
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。