日本史人生シミュレーター

徳川吉宗

江戸幕府の8代将軍
時代:江戸時代 / 1684年〜1751年(67歳ほど)

何をした人?
江戸幕府の8代将軍です。紀州藩主から将軍となり、幕府の財政を立て直すため享保の改革を行いました。倹約をすすめ、大名に米を納めさせる上げ米、新田の開発、目安箱の設置、公事方御定書の制定などを行い、漢訳洋書の輸入をゆるめて実学を奨励しました。「米将軍」とも呼ばれます。

プロフィール

名前徳川吉宗
生没年1684年(貞享元年) – 1751年(寛延4年)
時代江戸時代
出身地紀伊国和歌山(現在の和歌山県和歌山市)
別名徳川頼方(はじめの名)、米将軍
主な業績
  • 享保の改革を行う(1716年〜)
  • 目安箱の設置(1721年)
  • 公事方御定書の制定(1742年)
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歩んだ道

1684年

誕生

紀州藩(和歌山県)の藩主・徳川光貞の四男として生まれた。

1705年

紀州藩主

父や兄たちが次々と亡くなり、思いがけず紀州藩主となった。倹約を進め、苦しかった藩の財政を立て直した。

1716年

8代将軍

7代将軍家継が幼くして亡くなり、将軍家の血筋が絶えたため、8代将軍にむかえられた。

1719年

享保の改革

幕府の財政を立て直すため、享保の改革を始めた。お金の貸し借りの争いを当事者どうしで解決させる相対済し令を出した。

1720年

洋書の輸入をゆるす

キリスト教に関係のない洋書の輸入をゆるした。これが蘭学がさかんになるきっかけとなった。

1721年

目安箱

江戸城の門の前に目安箱を置き、人々の意見を直接聞いた。その意見から、貧しい病人のための小石川養生所がつくられた。

1722年

上げ米

大名に石高1万石につき米100石を幕府に納めさせ、そのかわりに参勤交代で江戸にいる期間を半分にした。新田開発も進めた。

1723年

足高の制

役職につく人の家の石高が足りないとき、在職中だけ不足分を支給する足高の制を始めた。家柄より能力のある人を役に用いやすくなった。

1732年

享保の飢饉

西日本でいなごの害による大飢饉が起きた。吉宗は青木昆陽にさつまいもの栽培を研究させ、ききんに備えた。

1742年

公事方御定書

裁判の基準となる法律「公事方御定書」をまとめさせ、公平な裁判をめざした。

1745年

大御所

将軍職を子の家重にゆずったが、大御所としてその後も政治を見守った。米の値段に心をくだいたことから「米将軍」ともよばれた。

1751年

最期

江戸城で亡くなった。江戸幕府中興の名君とされる。

この時代に起きたこと

よくある質問

Q. 徳川吉宗は何をした人ですか?

A. 江戸幕府の8代将軍です。紀州藩主から将軍となり、幕府の財政を立て直すため享保の改革を行いました。倹約をすすめ、大名に米を納めさせる上げ米、新田の開発、目安箱の設置、公事方御定書の制定などを行い、漢訳洋書の輸入をゆるめて実学を奨励しました。「米将軍」とも呼ばれます。

Q. 徳川吉宗はいつの時代の人ですか?

A. 江戸時代の人物です。1684年(貞享元年)に生まれ、1751年(寛延4年)に亡くなりました。

Q. 徳川吉宗の出身地はどこですか?

A. 徳川吉宗は紀伊国和歌山(現在の和歌山県和歌山市)の生まれです。

Q. 享保の改革とは何ですか?

A. 徳川吉宗が1716年ごろから行った幕府の政治改革です。倹約、上げ米、新田開発、年貢の取り方の見直しなどで財政を立て直し、目安箱で庶民の意見を集め、小石川養生所も作られました。

参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata

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