旗本の大岡家に生まれた。
同じ大岡一族の家の養子となった。
伊勢の山田奉行となり、公正な裁きで評判となった。
八代将軍・徳川吉宗に取り立てられ、江戸の町奉行となった。享保の改革を支えた。
火事の多い江戸の町を守るため、町人による「いろは四十七組」の町火消をつくった。
目安箱に投書された意見をもとに、貧しい人のための小石川養生所をつくった。
青木昆陽を推薦し、ききんに備えてさつまいもの栽培を広めることを助けた。
寺社奉行に出世した。
三河の西大平(愛知県岡崎市)で1万石の大名となった。旗本から大名になるのはめずらしいことだった。
亡くなった。「大岡裁き」とよばれる名裁判の話が多く伝わるが、その多くはのちにつくられた物語である。
市川團十郎(初代)徳川家宣荻生徂徠雨森芳洲徳川吉宗石田梅岩賀茂真淵青木昆陽
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。