摂津の毛馬村(大阪市)に生まれた。
このころ江戸に出て、早野巴人に俳諧を学んだ。
師が亡くなると、北関東や東北を約10年にわたって旅した。芭蕉の足あとをしのんだ。
京都に移り住み、絵の修業にも打ちこんだ。
丹後の宮津に3年ほど住み、絵をかき続けた。のちに中国風の文人画(南画)の大家となった。
師の号「夜半亭」を受けつぎ、京都の俳諧の中心となった。
画家の池大雅とともに「十便十宜図」をえがいた。国宝となっている。
「菜の花や 月は東に 日は西に」の句をよんだ。絵のように目にうかぶ句が多く、「絵画的な俳句」とよばれる。
俳句と漢詩を組み合わせた新しい形の詩「春風馬堤曲」を作った。
京都で亡くなった。「しら梅に 明くる夜ばかりと なりにけり」が最後の句とされる。
徳川吉宗石田梅岩賀茂真淵青木昆陽伊藤若冲田沼意次前野良沢池大雅
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。