日本史人生シミュレーター

田沼意次

老中
時代:江戸時代 / 1719年〜1788年(69歳ほど)
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歩んだ道

1719年

誕生

紀州藩出身で、のちに幕臣となった田沼意行の子として江戸で生まれた。

1734年

家重に仕える

のちの9代将軍家重の小姓となり、そば近く仕えた。

1758年

大名となる

1万石の大名となり、美濃の郡上一揆の裁判にもかかわった。

1767年

側用人

10代将軍家治の側用人となり、遠江の相良に城をもつことを許された。

1772年

老中となる

老中となり、幕府の政治の中心に立った。商人の力を生かして幕府の収入を増やそうとした。

1772年

株仲間と新しい貨幣

商人の同業者の組合(株仲間)を認めて税を納めさせた。新しい銀貨もつくり、お金の流れをよくしようとした。

1782年

印旛沼の干拓

下総の印旛沼を干拓して新田を開く工事を始めた。長崎貿易では海産物の輸出を増やし、金銀を手に入れようとした。

1783年

天明の飢饉

浅間山の噴火や天候不順で天明の飢饉が起き、一揆や打ちこわしが広がった。わいろが横行していると批判も強まった。

1784年

子の死

若年寄だった子の意知が、江戸城の中で旗本に斬られて亡くなった。田沼の力は弱まり始めた。

1785年

蝦夷地の調査

ロシアとの交易も考え、蝦夷地に調査隊を送った。

1786年

失脚

将軍家治が亡くなると老中をやめさせられ、領地も大きく減らされた。

1788年

最期

江戸で亡くなった。わいろ政治と悪くいわれてきたが、商業を重んじた先進的な政治家として見直されている。

この時代に起きたこと

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