日本史人生シミュレーター

日野富子

足利義政の妻
時代:室町時代 / 1440年〜1496年(56歳ほど)
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歩んだ道

1440年

誕生

将軍家と代々縁の深い公家・日野重政の娘として生まれた。

1455年

将軍の妻に

8代将軍・足利義政と結婚した。

1459年

子を失う

初めての子を産んだが、その日のうちに亡くなった。義政のそばに仕えていた女性・今参局がのろったためだとうわさされ、今参局は流罪となった。

1465年

義尚の誕生

男の子・義尚を産んだ。前の年に義政は弟の義視を跡継ぎに決めていたため、わが子を将軍にしたい富子との間で争いの火種となった。

1467年

応仁の乱

跡継ぎ争いに、有力な守護大名たちの争いが重なり、応仁の乱が始まった。富子は山名宗全を頼ったとも伝わる(諸説あり)。京都は焼け野原となった。

1473年

わが子が将軍に

義尚が9代将軍となった。幼い将軍に代わって、富子は政治にも大きな力をふるうようになった。

1477年

お金の力

戦乱の中、大名たちにお金を貸したり、米の売り買いをしたりして大きな財産をたくわえた。京都の入口に関所を置いて通行料を集めたため、人々の反発を買った。乱を終わらせるために大名にお金を出したともいわれる。

1480年

土一揆

京都の関所に反発した人々が一揆を起こし、関所は壊された。富子は「悪女」とも言われたが、苦しい幕府の財政を支えたのも事実だった。

1489年

子の死

将軍の義尚が、近江への出陣中に若くして亡くなった。翌年には夫の義政も亡くなった。富子は、義視の子・義材を次の将軍に支えた。

1493年

明応の政変

管領の細川政元が将軍・義材を追い出し、別の将軍を立てた(明応の政変)。富子もこれに同意したとされる。将軍が家臣に代えられるほど、幕府の力は弱まっていた。

1496年

最期

京都で亡くなった。夫と子を失いながらも、乱世の幕府を財力で支え続けた一生だった。

この時代に起きたこと

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