日本史人生シミュレーター

朝倉孝景(敏景)

応仁の乱で活躍し越前を手に入れた武将
時代:室町時代 / 1428年〜1481年(53歳ほど)
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歩んだ道

1428年

誕生

越前の守護斯波氏の重臣、朝倉家景の子として生まれた。朝倉氏は但馬の古い武士団の流れをくむと名のり、南北朝時代を経て斯波氏に仕える有力な家臣となっていた。父の家景は早くに亡くなったため、若い孝景は祖父の教景に支えられて育った。

1452年

敏景と名のる

主君である越前の守護斯波義敏から「敏」の一字をもらい、それまでの教景から敏景へと名を改めた。孝景は生涯に何度も名を変えたことで知られ、教景・敏景・教景・孝景の順に名のった。同名のひ孫と区別するため、敏景と書かれることも多い。

1458年

長禄合戦

主君の斯波義敏と、越前の守護代甲斐常治との間で長禄合戦が始まった。孝景は主君ではなく守護代の側について、その主力として戦った。守護代とは、守護に代わって国を治める役目である。家臣が主君と争うこの戦いは、下剋上の時代の始まりを感じさせるものだった。

1459年

和田の戦いに勝つ

幕府による和解の話し合いが義敏の反対で実らなかったため、孝景は「敏」の字を捨てて再び教景と名のった。同じ年、足羽郡和田の戦いで、守護方についた義理の兄や叔父を破り、守護代方を勝利に導いた。翌日に甲斐常治が京で亡くなり、孝景の力は一段と強まった。

1461年

斯波義廉の家督相続

義敏が将軍足利義政の怒りを買って周防に退いたあと、渋川氏から入った斯波義廉が斯波氏の家督となった。孝景が山名宗全と組んでこれを仕組んだとも言われるが、この時期孝景は遠江や関東へ出陣していて京にいなかったため、これを否定する説もあり、諸説ある。

1464年

孝景と名のる

越前にあった奈良の興福寺大乗院の荘園を侵したため、大乗院から「教景」の名をのろわれた。これを知った孝景は、のろいを避けるために名を孝景に改めた。孝景は寺社や貴族の領地を次々と自分のものにしていき、荘園の領主たちにとっては手ごわい相手だった。

1465年

連歌会の計略

守護代の増沢甲斐守と戦ったとき、わざと連歌の会を開いて相手を油断させ、攻めてきた増沢の軍を大いに破ったと伝わる。孝景は連歌や和歌に親しみ、歌僧の正徹や連歌師の宗祇とも交流があった。戦いと文化の両方に通じた人物だった。

1466年

文正の政変

義廉が斯波氏の家督を追われ、義敏が復帰すると、孝景は山名宗全らと結んで反発した。将軍の側近伊勢貞親や義敏らを京から追い出し、再び義廉を家督に戻した。これが文正の政変で、幕府内の対立は翌年の大乱へとつながっていく。

1467年

応仁の乱で西軍の主力に

応仁の乱が始まると、孝景は主君義廉とともに西軍に加わり、京の各地の戦いで活躍した。将軍が西軍を討てと命じた際、義廉が降伏するなら「孝景の首」を差し出すことが条件とされたと記録にあり、孝景が西軍の主力とみなされていたことがわかる。

1468年

骨皮道賢を討つ

伏見稲荷に立てこもって西軍を苦しめていた足軽大将の骨皮道賢を討ち取った。足軽は身軽な装備の雇われ兵で、応仁の乱では放火や略奪も行い、京の町を荒らした。孝景の軍は精強で、京の各地で焼き働きをして西軍の中心として戦い続けた。

1471年

東軍に寝返る

孝景はひそかに東軍と連絡を取り、将軍義政や細川勝元から越前の支配を認める約束を得て、東軍に移った。京にいた嫡男の氏景も山名宗全の屋敷で酒を飲んだその夜に東軍の陣へ入ったという。この寝返りで東軍が優位となり、大乱は終わりへ向かった。

1472年

府中を落とす

越前に戻った孝景は、守護代の甲斐氏の軍と各地で戦った。はじめは苦戦して敗れることもあったが、やがて勝利を重ね、この年には守護所のあった府中を攻め落とした。越前の支配を実際の力で進めていく、戦国大名の先がけとなる姿だった。

1475年

越前をほぼ手中に

二宮氏などの敵を次々と破り、越前一国をほぼ手中に収めた。かつては守護に任じられたとする説もあったが、子の氏景が守護代に任じられていることから、実際には守護代の立場だったと考えられている。主君の斯波氏に代わり、家臣が国の実権を握った。

1481年

最期

斯波義寛や甲斐氏らの反撃に苦しむなか、越前で生涯を閉じた。領地を奪われた公家の甘露寺親長は日記に彼を「天下一の極悪人」と書いたが、家臣を大切にした大将とも伝わる。家訓「朝倉孝景条々」を定めたとされるが、疑問を示す説もある。跡は嫡男の氏景が継いだ。

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