京都で生まれた。幼いころに父を亡くし、母に育てられた。
幼くして字がうまく、黄檗山萬福寺の僧たちを驚かせたと伝わる。
このころ、京都で扇の店を開き、扇に絵をかいて暮らしを立てた。
このころ、絵をかく女性・玉瀾と結婚した。二人はお金にこだわらず、自由に暮らしたと伝わる。
このころ、富士山や白山、立山などに登り、各地を旅して実際の景色を学んだ。
このころ、中国の文人画をもとに、日本の風景をのびやかにえがく独自の画風を完成させた。
与謝蕪村と共作で『十便十宜図』をえがいた。今は国宝となっている。
京都で亡くなった。
与謝蕪村伊藤若冲田沼意次前野良沢鈴木春信平賀源内本居宣長杉田玄白
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。