讃岐の志度(香川県)で、高松藩の下級武士の家に生まれた。
長崎に行き、オランダの学問や文化にふれた。
江戸で本草学者の田村藍水に学び、全国の薬草や鉱物を集めて見せる物産会を開いた。
自由に活動するため藩の仕事をやめた。ほかの藩に仕えることも禁じられた。
物産会の成果をまとめた『物類品隲』を出した。一方で「風来山人」の名で、こっけいな小説も書いた。
武蔵の秩父などで鉱山の開発に取り組んだが、うまくいかないことも多かった。
秋田藩にまねかれ鉱山の指導をした。そのとき藩士の小田野直武に西洋画の技法を教え、「秋田蘭画」が生まれるきっかけとなった。
長崎で手に入れたこわれたエレキテル(静電気を起こす装置)を、何年もかけて修理し復元した。人々をおどろかせた。
思いちがいから人を傷つけてしまい、牢に入れられた。
牢の中で病気のため亡くなった。友人の杉田玄白は「ああ非常の人」とその才能をおしむ言葉を墓に記した。
田沼意次前野良沢池大雅鈴木春信本居宣長杉田玄白円山応挙上田秋成
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。