日本史人生シミュレーター

今川貞世(了俊)

九州探題・歌人
時代:室町時代 / 1326年〜1420年(94歳ほど)
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歩んだ道

1326年

誕生

今川範国の次男として生まれた。生年は嘉暦元年(1326)とされるが、1325年説もある。今川氏は足利一門で、のちに駿河を本拠とする守護大名となる家柄だった。幼名や通称は六郎。

1350年

観応の擾乱のなかで

南北朝の動乱と観応の擾乱の時代に、足利尊氏・義詮に仕えて戦功を重ねた。政争の激しいなかでも家を守り、武将としての経験を積んだ。のちに九州で大きな任を担う下地が、このころ形づくられた。

1370年

九州探題に任じられる

南朝方の菊池氏らが強い九州を抑えるため、幕府は貞世を九州探題に任じた。赴任に先立ち周到に準備し、現地の武士を味方につけて大宰府方面へ進んだ。長い九州経営の始まりだった。

1372年

大宰府を攻略

筑前の大宰府を攻め落とし、南朝方を後退させた。時間をかけて包囲網を築く戦略で、勇将・菊池武光らを圧した。探題として九州の北朝方をまとめ、幕府の権威を西国に広げようとした。

1375年

水島の変

肥後の水島で、味方の少弐冬資を疑って討った事件が起きた。少弐氏や島津・大友らの反感を買い、探題は孤立しやすくなった。智将らしい慎重さとは裏腹の失敗として、九州経営を長く苦しめることになる。

1381年

菊池城を落とす

粘り強い攻勢で菊池氏の本拠を攻め、菊池城を落とした。その後も八代など南朝方の拠点を攻め続け、1390年代はじめに九州の南朝勢力をほぼ屈服させた。長い戦いの末の平定だった。

1395年

探題を解任される

将軍足利義満に召還され、九州探題を解任された。有力大名との関係悪化や勢力の大きさへの警戒が背景とされる。後任は渋川満頼。二十年以上支えた九州経営は、突然終わりを迎えた。

1402年

『難太平記』を著す

出家して了俊と名乗り、駿河などで過ごしながら著作に励んだ。応永9年に『難太平記』をまとめ、今川氏の功績や自らの立場、幕政への不満を子孫に伝えた。歌人としても多くの書を残した。

1410年

歌学と交友

冷泉為尹や正徹らと交わり、歌学書や紀行を次々に書いた。戦場を離れた晩年は、文の世界で長く生きた。探題時代の緊張とは対照的な、穏やかで知的な日々だったと伝えられる。

1420年

最期

応永27年(1420)に没したと家譜は伝えるが、1418年にはすでに亡くなっていたとする記録もあり、没年は諸説ある。享年は九十前後。武将であり歌人でもあった生涯は、室町前期を象徴する一人として語りつがれる。

この時代に起きたこと

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