日本史人生シミュレーター

足利義詮

室町幕府の2代将軍
時代:鎌倉末〜南北朝時代 / 1330年〜1367年(37歳ほど)
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歩んだ道

1330年

誕生

足利尊氏の子として生まれた。母は北条氏一門の赤橋登子で、尊氏の正室の子として跡継ぎとされた。幼名は千寿王という。父はこのころ鎌倉幕府に仕える有力な御家人だった。

1333年

幼くして鎌倉攻めに加わる

父が京で幕府にそむくと、鎌倉にいた千寿王は脱出し、挙兵した新田義貞の軍に加わった。まだ3歳の幼子だったが、足利氏の名代として多くの武士を引きつけたとされる。こうして鎌倉幕府は滅んだ。

1335年

中先代の乱

北条高時の子時行が兵をあげて鎌倉に攻め寄せ、千寿王は叔父の足利直義とともに鎌倉を逃れた。父尊氏が京から下って鎌倉を取り戻したが、これがきっかけで尊氏は後醍醐天皇と対立していく。

1349年

京へ上り政務を担う

室町幕府の内部で、執事の高師直と叔父の直義が激しく対立した。直義が政務から退くと、鎌倉にいた義詮が京に呼ばれて政治を任された。代わりに弟の基氏が鎌倉に下り、のちの鎌倉公方の始まりとなった。

1352年

観応の擾乱と京の失陥

父と叔父の争い(観応の擾乱)のさなか、尊氏は一時南朝と和睦した。しかし南朝軍が京に攻め入り、義詮は近江へ逃れた。上皇たちが連れ去られたため、義詮は後光厳天皇を新たに立てて北朝を立て直した。

1353年

再び京を追われる

南朝方についた山名時氏らが京へ攻め込み、義詮は後光厳天皇を守って美濃へ逃れた。父尊氏とともに兵を集めて京を取り戻したが、京の奪い合いはこの後もくり返され、幕府の力はなかなか安定しなかった。

1358年

2代将軍となる

父尊氏が京で亡くなり、義詮はその年の暮れに征夷大将軍に任じられた。同じ年には子の義満が生まれている。南朝との戦いや有力守護どうしの争いが続く中で、義詮は幕府のかじ取りを一人で担うことになった。

1361年

細川清氏の離反

幕府の執事として力をふるった細川清氏が、ほかの大名との対立から失脚し、南朝方に走った。清氏らの軍が京に入り、義詮はまたも京を離れたが、まもなく取り戻した。家臣の争いをどう抑えるかが大きな課題だった。

1363年

大内氏・山名氏の帰順

斯波高経の子義将を執事に立てて政治を立て直すと、中国地方で大きな力をもつ大内弘世や山名時氏が幕府に従った。南朝方の有力な武士が次々に降ったことで、幕府の優位がはっきりしてきた。

1367年

義満を託して死去

病に倒れた義詮は、まだ九歳の子義満の後見を細川頼之に任せ、京で亡くなった。37歳だった。不安定な時代に京を守り抜いた義詮の土台の上に、のちに義満が南北朝の合一と幕府の全盛を実現することになる。

この時代に起きたこと

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