伊賀(三重県)の生まれと伝わる(諸説あり)。のちに大和(奈良県)の猿楽の一座・結崎座に入り、役者として腕をみがいた。
このころ、長男の世阿弥が生まれた(年は諸説あり)。のちに父子の一座は観世座と呼ばれ、今の観世流のもとになった。
このころ、当時はやっていた曲舞の調子のよい節を猿楽に取り入れ、歌と舞を中心にした新しい能を生み出したとされる。京都の醍醐寺での演能が評判になり、名が知られるようになった。
京都の今熊野で、若い将軍・足利義満の前で息子とともに演じた(1375年説も)。義満は親子の芸に感動し、保護するようになった。能が武家の芸能として認められる大きなきっかけとなった。
このころまでに、『自然居士』などの作品を作ったり、古い作品を作り直したりした。物まねの面白さと、見る人の心にひびく美しさを両方大切にした。
旅先の駿河(静岡県)の浅間神社で能を演じたあと、まもなく亡くなった。世阿弥は『風姿花伝』で、年老いた父の最後の舞台にも「花」が残っていたとたたえている。
二条良基今川貞世(了俊)細川頼之足利義詮足利基氏斯波義将足利義満世阿弥
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。