日本史人生シミュレーター

新田義貞

武将
時代:鎌倉末〜南北朝時代 / 1301年〜1338年(37歳ほど)
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歩んだ道

1301年

誕生

上野(群馬県)の新田荘を本拠とする御家人・新田朝氏の子として生まれたとされる(生年は諸説あり)。新田氏は足利氏と同じ源氏の流れだったが、幕府の中では足利氏ほど重く用いられていなかった。

1333年

鎌倉攻め

幕府の重い取り立てに反発し、地元の生品神社で兵を挙げた。関東の武士が次々に加わり、分倍河原の戦いで幕府軍を破った。稲村ヶ崎では、海に剣を投げ入れて祈ると潮が引き、軍が通れたと『太平記』は伝える。鎌倉は落ち、北条高時らは自ら命を絶った。

1334年

新政のもとで

建武の新政で、越後などの国司に任じられ、京都の警備を担う武者所の長となった。しかし武士の多くは足利尊氏に心を寄せ、二人は対立を深めていった。

1335年

尊氏討伐

尊氏が新政に背くと、後醍醐天皇の命令で討伐に向かった。しかし箱根・竹ノ下の戦いで敗れ、京都へ退いた。

1336年

勝利と敗北

北畠顕家・楠木正成とともに、京都に攻めこんだ尊氏を破り、九州へ追いやった。しかし九州で力を盛り返した尊氏に湊川の戦いで敗れ、正成は命を落とした。天皇が尊氏と和解しようとすると、義貞は皇子の恒良親王らを奉じて北陸の越前へ向かった。

1337年

金ヶ崎城の落城

越前の金ヶ崎城にこもったが、足利軍に囲まれて食料がつき、城は落ちた。長男の義顕や尊良親王は命を落とした。義貞はかろうじて城を抜け出し、杣山城で再起をはかった。

1338年

最期

越前の藤島で、わずかな兵を率いて敵の城を見回っていたところ、敵と出会い、流れ矢に当たって命を落とした。『太平記』は、京都に残した妻・勾当内侍との悲しい別れも描いている。

この時代に起きたこと

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関係する人物

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