駿河の府中(静岡市)で、町奉行に仕える下級武士の子として生まれた。
大坂で浄瑠璃の作者の仲間に入り、台本づくりにかかわった。
江戸に出て、出版元の蔦屋重三郎のもとで暮らし、黄表紙などを書き始めた。
弥次郎兵衛と喜多八が東海道を旅する『東海道中膝栗毛』を出し、大評判となった。
続きを書き続け、旅は大坂まで進み、正編が完結した。旅のブームを生んだ。
弥次喜多が金毘羅や中山道などを旅する続編を、長く書き続けた。
江戸で亡くなった。最期までユーモアを忘れない辞世の歌を残したと伝わる。
葛飾北斎華岡青洲山東京伝小林一茶曲亭馬琴高田屋嘉兵衛佐藤一斎平田篤胤
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。