淡路の都志本村(兵庫県洲本市)の農家に生まれた。
兵庫に出て船乗りとなり、海の仕事を学んだ。
大きな船・辰悦丸を手に入れ、船主として商売を始めた。
蝦夷地の箱館に店を開いた。幕府の依頼で択捉島への航路を開き、漁場を開発した。
蝦夷地での働きが認められ、幕府から名字を名のり刀を持つことを許された。
このころ、箱館の大火のあと、町の立て直しに力をつくした。
ロシアの艦長ゴローウニンが日本に捕らえられたことへの報復として、国後島の沖でロシア船に捕らえられ、カムチャツカに連れて行かれた。
日本にもどり、ロシアと幕府の間を取りもって、ゴローウニンの解放を実現させた。
商売をゆずり、故郷の淡路に帰った。
淡路で亡くなった。
山東京伝小林一茶十返舎一九曲亭馬琴佐藤一斎平田篤胤調所広郷間宮林蔵
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。