出羽の久保田(秋田市)で、秋田藩の武士の家に生まれた。
故郷を出て江戸に向かい、苦労しながら学問を続けた。
備中松山藩の武士・平田家の養子となった。
このころ、本居宣長の本を読んで国学に目覚めた。宣長は亡くなっていたが、その門人と名のった。
江戸で塾を開き、国学を教えた。
このころ、『霊能真柱』などを書き、仏教や儒教の影響を除いた古い神道にもどろうとする「復古神道」を唱えた。
このころ、全国に多くの門人ができた。その考えは幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を与えた。
幕府を批判したとされ、本を書くことを禁じられて故郷の秋田に帰された。
秋田で亡くなった。
十返舎一九曲亭馬琴高田屋嘉兵衛佐藤一斎調所広郷間宮林蔵頼山陽広瀬淡窓
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。