信濃の柏原(長野県信濃町)の農家の長男として生まれた。幼いころに母を亡くした。
このころ父が再婚し、継母とうまくいかなかった。さびしい子ども時代を過ごしたと伝わる。
故郷をはなれ、江戸に奉公に出た。苦しい暮らしの中で、やがて俳諧と出会った。
俳諧の修業のため、近畿・四国・九州をめぐる旅に出て、6年ほど各地をまわった。
故郷で父を看病したが、父は亡くなった。その後、継母や弟と遺産をめぐって長く争った。そのようすを『父の終焉日記』に書いた。
遺産の問題が解決し、柏原にもどって暮らし始めた。
故郷で菊と結婚し、子どもが生まれた。しかし子どもたちは次々と幼くして亡くなった。
「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」など、小さな生き物によりそう句を多くよんだ。
長女のさとを亡くした悲しみなど、1年の出来事を句と文でつづった『おらが春』を書いた。「露の世は 露の世ながら さりながら」の句をのせた。
妻の菊が亡くなった。その後、再婚した。
柏原の大火事で家を失い、焼け残った土蔵で暮らした。
土蔵の中で亡くなった。生涯に2万句ほどをよんだといわれる。
松平定信葛飾北斎華岡青洲山東京伝十返舎一九曲亭馬琴高田屋嘉兵衛佐藤一斎
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。