日本史人生シミュレーター

蔦屋重三郎

版元(出版人)
時代:江戸時代 / 1750年〜1797年(47歳ほど)
この人の一生をたどる(自動再生)

歩んだ道

1750年

誕生

江戸の吉原に生まれた。父は丸山重助、母は広瀬津与。幼いころに両親が別れ、吉原で茶屋を営む喜多川家(屋号は蔦屋)の養子となった。吉原の町で育ったことが、のちの仕事に大きく生きることになる。

1773年

本屋を開く

23歳のとき、吉原の大門の近くで、義理の兄の店先を借りて本屋を開いた。はじめは本の小売りや貸本をしながら、吉原の案内書「吉原細見」の販売にかかわった。

1774年

一目千本

絵師・北尾重政が遊女たちを生け花にたとえて描いた絵本『一目千本』を出版した。これが版元(出版元)としての最初の仕事となった。翌年からは自分で吉原細見を出し、見やすく工夫して評判をとった。

1780年

黄表紙と洒落本

このころから、恋川春町や朋誠堂喜三二、山東京伝らの黄表紙や洒落本を次々に出した。大田南畝ら狂歌の仲間とも親しく交わり、自らも「蔦唐丸」の名で狂歌を詠んだ。

1783年

日本橋へ

江戸の出版の中心地・日本橋の通油町に店(耕書堂)を構えた。一流の版元の仲間入りを果たし、江戸の流行を生み出す出版人として知られるようになった。

1788年

歌麿を売り出す

喜多川歌麿の絵入り狂歌本『画本虫撰』を出版し、歌麿の細やかな絵の力を世に示した。のちには女性の顔を大きく描く美人大首絵を次々に出し、歌麿は大人気の絵師となった。

1791年

処罰を受ける

松平定信の寛政の改革で出版の取りしまりが厳しくなり、山東京伝の洒落本を出したことをとがめられて、財産の半分を取り上げられた。それでも蔦重はひるまず、新しい企画を考え続けた。

1793年

若い才能を育てる

このころ、若い曲亭馬琴を店の手代として雇い、のちには十返舎一九も店に住まわせて仕事をさせたと伝わる。江戸を代表する作家となる若者たちを見いだし、育てた。

1794年

写楽

無名の絵師・東洲斎写楽の役者の大首絵28枚を一度に出版した。役者の特徴を大胆にとらえた絵は世間をおどろかせたが、写楽はおよそ10か月の間に140点あまりの作品を残して姿を消した。

1797年

最期

47歳で、脚気のため亡くなった。多くの作家や絵師を世に送り出した蔦重は、江戸の町人文化を大きく盛り上げ、「江戸のメディア王」と呼ばれることもある。

この時代に起きたこと

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