何をした人?
江戸時代後期の浮世絵師です。江戸の本所に生まれ、勝川春章に入門して絵師となり、生涯で30回以上名前を変え、90回以上引っ越したと伝わります。70歳を過ぎて『富嶽三十六景』を出し、「神奈川沖浪裏」は世界で最も知られた日本の絵の一つです。『北斎漫画』はヨーロッパの画家にも影響を与えました。
| 名前 | 葛飾北斎 |
|---|---|
| 生没年 | 1760年(宝暦10年) – 1849年(嘉永2年) |
| 時代 | 江戸時代 |
| 出身地 | 江戸本所割下水(現在の東京都墨田区) |
| 別名 | 勝川春朗、画狂老人卍 |
| 主な業績 |
|
江戸の本所(東京都墨田区)に生まれた。
このころ、木版画の版木をほる職人のもとで修業した。
浮世絵師の勝川春章に弟子入りし、春朗の名で役者絵などをえがき始めた。
このころ、勝川派をはなれ、狩野派や西洋の絵なども学んで独自の画風をさぐった。名前を何度も変え、引っ越しも非常に多かったと伝わる。
絵の手本として、人や動物、風景などをえがいた『北斎漫画』の出版が始まった。のちに海外の画家にも影響をあたえた。
名古屋の寺の境内で、120畳の紙に大きなだるまの絵をえがき、人々をおどろかせた。
このころ、富士山をさまざまな場所からえがいた『冨嶽三十六景』を出した(年は諸説あり)。大波の向こうに富士山が見える「神奈川沖浪裏」は世界的に知られている。
『富嶽百景』を出し、「画狂老人卍」と名のった。百十歳まで生きれば本物の絵がかけるだろう、と書いている。
このころ、信濃の小布施(長野県)をたずね、祭りの屋台の天井に大きな波の絵などをえがいた。
江戸で亡くなった。「天があと5年命をくれたら、本当の絵かきになれたのに」と言い残したと伝わる。生涯に3万点以上の作品を残したといわれる。
A. 江戸時代後期の浮世絵師です。江戸の本所に生まれ、勝川春章に入門して絵師となり、生涯で30回以上名前を変え、90回以上引っ越したと伝わります。70歳を過ぎて『富嶽三十六景』を出し、「神奈川沖浪裏」は世界で最も知られた日本の絵の一つです。『北斎漫画』はヨーロッパの画家にも影響を与えました。
A. 江戸時代の人物です。1760年(宝暦10年)に生まれ、1849年(嘉永2年)に亡くなりました。
A. 葛飾北斎は江戸本所割下水(現在の東京都墨田区)の生まれです。
A. 『富嶽三十六景』の一枚として、1831年ごろ(天保初め)に出版されたとされます。大波の向こうに小さな富士山を描いた構図で、海外では「The Great Wave」として知られます。
参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata
この人の一生をたどる(自動再生)最上徳内大槻玄沢良寛松平定信華岡青洲山東京伝小林一茶十返舎一九
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