筑前の福岡藩(福岡県)の武士の家に生まれた。
福岡藩に仕えたが、のちに藩主の怒りを買い、しばらく浪人として暮らした。
許されて藩に戻り、藩のお金で京都に出て、朱子学や本草学(薬草などの学問)を7年ほど学んだ。
福岡にもどり、藩の学者として藩主に講義をしたり、書物を書いたりした。
藩主の黒田家の歴史『黒田家譜』をまとめた。
各地を歩いて調べた筑前の地誌『筑前国続風土記』を完成させた。同じ年、日本の動植物や鉱物をまとめた『大和本草』も出した。
子どもの教育について書いた『和俗童子訓』を出した。むずかしい学問をやさしい言葉で書き、多くの人に読まれた。
健康に長生きするための心がまえをまとめた『養生訓』を書いた。食べすぎをいましめ、心を落ち着けることを説き、今も読まれている。
80代で亡くなった。妻の東軒とともに旅を楽しんだことでも知られる。
山鹿素行酒井忠清伊藤仁斎徳川光圀渋川春海契沖徳川家綱井原西鶴
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。