大坂の町人の家に生まれたとされる(くわしいことは諸説あり)。
このころ、俳諧を学び始めた。のちに西山宗因の談林派に加わり、自由で型にはまらない句をよんだ。
妻が若くして亡くなり、一日でひとりで千句をよんで妻をとむらった。
一昼夜のうちに、どれだけ多くの句をよめるかを競う「矢数俳諧」で大記録を作った。のちに一昼夜で2万句以上をよんだと伝わる。
小説『好色一代男』を書いて大評判となった。町人の生活や心をいきいきとえがく「浮世草子」の始まりとされる。
実際の事件をもとに、恋に生きた五人の女性をえがいた『好色五人女』を書いた。
商人たちがどのように富を築き、また失ったかをえがいた『日本永代蔵』を書いた。
大みそかに借金の取り立てに追われる町人たちの姿を、ユーモアをまじえてえがいた『世間胸算用』を書いた。
大坂で亡くなった。「人生50年」といわれた時代に、それより2年長く生きて世の中の月を見すぎた、という意味の辞世の句が伝わる。
貝原益軒渋川春海契沖徳川家綱関孝和松尾芭蕉徳川綱吉近松門左衛門
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。