水戸藩主・徳川頼房の三男として生まれた。のちに兄をこえて跡継ぎに選ばれた。
若いころは乱暴なふるまいもあったが、中国の歴史書『史記』の伯夷伝を読んで心を打たれ、学問にはげむようになった。兄をこえて跡を継ぐことにも悩んだという。
江戸の屋敷に史局を開き、日本の歴史書『大日本史』の編さんを始めた。この事業は水戸藩で明治時代まで続けられた。
父が亡くなり水戸藩主となった。兄の子を自分の跡継ぎとし、兄への義理を果たした。
殉死を禁じ、寺社を整理するなど、藩の政治を改めた。
史局を「彰考館」と名づけ、全国から学者を集めて史料を調べさせた。
藩主を退き、常陸の西山荘で暮らした。全国を旅して悪をこらしめる「水戸黄門」の話は、後の時代の作り話である。
摂津の湊川に楠木正成の墓碑を建て、「嗚呼忠臣楠子之墓」と記させた。
西山荘で亡くなった。『大日本史』を通じて広まった天皇を尊ぶ考え(水戸学)は、幕末の尊王思想に大きな影響をあたえた。
三井高利山鹿素行酒井忠清伊藤仁斎貝原益軒渋川春海契沖徳川家綱
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。