長門の長府(山口県下関市)で、藩に仕える狩野派の絵師の家に生まれた。
江戸に出て狩野派の師に入門し、橋本雅邦とならぶ弟子となった。
明治維新で藩の絵師の仕事を失い、貧しい暮らしを送った。
このころ、フェノロサに才能を認められ、西洋の色づかいも取り入れた新しい日本画に取り組んだ。
『不動明王』などをえがき、高く評価された。
代表作『悲母観音』をえがきあげた直後に亡くなった。開校する東京美術学校の教授になるはずだった。
松浦武四郎岩倉具視ウィリアム・S・クラーク高橋由一副島種臣西周由利公正大久保利通
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。