越後の出雲崎(新潟県)で、名主の家の長男として生まれた。
家を継ぐはずだったが、名主の仕事になじめず、寺に入って出家した。
師の国仙和尚に従って、備中の玉島(岡山県倉敷市)の円通寺に移り、きびしい修行を重ねた。
修行が認められ、師から悟りの証をあたえられた。翌年に師が亡くなると、各地を旅して回った。
このころ、故郷の越後にもどった。寺の住職にはならず、托鉢をしながら質素に暮らした。
このころ、国上山の小さな草庵・五合庵に住むようになった。子どもたちと手まりやかくれんぼをして遊んだという話が伝わる。
このころ、和歌や漢詩、書にすぐれた作品を多く残した。のびやかで美しい書は今も高く評価されている。
年をとり、山のふもとの乙子神社のそばの草庵に移った。
体が弱り、島崎村の木村家に引き取られて暮らした。
若い尼僧の貞心尼と出会い、和歌をやりとりして心を通わせた。
貞心尼らにみとられて亡くなった。「裏を見せ 表を見せて 散るもみぢ」の句を口にしたと伝わる。
大黒屋光太夫喜多川歌麿最上徳内大槻玄沢松平定信葛飾北斎華岡青洲山東京伝
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。