何をした人?
幕末の薩摩藩士で、明治時代の警察官僚です。日本の近代警察をつくった人で、「日本警察の父」と呼ばれます。身分の低い家に生まれ、禁門の変や戊辰戦争で活躍しました。ヨーロッパで警察の仕組みを学び、初代の大警視として東京の警視庁をつくりましたが、二度目の視察旅行で病気になり、帰国後まもなく亡くなりました。
| 名前 | 川路利良 |
|---|---|
| 生没年 | 1834年(天保5年) – 1879年(明治12年) |
| 時代 | 江戸末〜明治時代 |
| 出身地 | 薩摩国 |
| 主な業績 |
|
薩摩国の比志島村(いまの鹿児島市)に、与力という低い身分の藩士の長男として生まれた。上級の武士とは扱いが大きく違う家柄だったが、重野安繹に漢学を、剣術を真影流に学び、こつこつと力をつけていった。
長州藩の軍勢が京都の御所に攻めこんだ禁門の変で、薩摩の兵として戦い、長州側の指揮官だった来島又兵衛を倒すなどの手柄を立てた。この働きによって、西郷隆盛や大久保利通から高く評価されるようになった。
藩の小隊長に任じられ、西洋式の軍隊の動かし方を学んだ。低い身分から実力で取り立てられたことは、彼に強い責任感と、国のために働こうとする気持ちを植えつけた。翌年からの大きな戦いに向けて、準備を整えていった。
戊辰戦争が始まると、鳥羽・伏見の戦いに薩摩の部隊の隊長として出陣し、江戸の上野での戦いでも活躍した。東北に転戦した磐城の戦いでは敵の弾を受けて負傷したが、傷が治ると会津での戦いにも加わった。
西郷隆盛に招かれて東京に出て、東京府の役人となった。翌年には、町の安全を守る邏卒を率いる邏卒総長に任じられた。武士の時代が終わり、新しい首都の治安をどう守るかが大きな課題になっていた時期だった。
司法省の視察団の一員としてヨーロッパに渡り、各国の警察の仕組みを調べた。とくにフランスの警察制度に注目し、犯罪を防ぐ警察の仕事と、裁判を行う司法の仕事を分けるべきだと考えるようになった。
帰国後、警察制度の改革を政府に提案した。同じ年、明治六年政変で西郷隆盛が政府を去り、多くの薩摩出身者が後に続いた。しかし川路は、国の仕事は一日も休めないとして私情を捨て、警察に身をささげる道を選んだ。
新しくつくられた東京警視庁の初代の大警視(いまの警視総監)となった。仕事を終えたあとも毎日のように東京中の警察署や派出所を見回り、眠る時間は一日四時間にも満たなかったと伝わる。日本の近代警察の土台を築いた。
大久保利通の信頼を受け、不満を持つ士族の動きを探るため、薩摩出身の警察官たちを帰郷の名目で鹿児島に送った。しかし彼らは西郷の私学校の生徒に捕らえられ、西郷の命をねらったとする自白が取られて、対立は一気に深まった。
西南戦争が始まると、陸軍少将を兼ね、警察官で組織した旅団を率いて九州で戦った。激しい戦いとなった田原坂では、警察官から選ばれた抜刀隊が活躍した。かつて自分を引き立ててくれた西郷と戦うという、つらい立場だった。
後ろ盾だった大久保利通が、東京の紀尾井坂で不平士族に襲われて亡くなった。川路は事前に計画の知らせを受けていたが、重く見なかったと伝わる。最も信頼してくれた人を守れなかったことは、警察の長として大きな痛手となった。
警察の視察のため再びヨーロッパへ向かったが、船の中で病にかかった。パリに着いた日は町を歩いたものの、その後は床につき、現地の医者の治療や場所を移しての療養も行ったが、病状はよくならなかった。
帰国して間もなく、東京で病のため亡くなった。彼が残した言葉は『警察手眼』という本にまとめられ、今も警察官の心がまえとして読みつがれている。故郷では長く複雑な目で見られたが、近年は功績が見直され、像も建てられている。
A. 幕末の薩摩藩士で、明治時代の警察官僚です。日本の近代警察をつくった人で、「日本警察の父」と呼ばれます。身分の低い家に生まれ、禁門の変や戊辰戦争で活躍しました。ヨーロッパで警察の仕組みを学び、初代の大警視として東京の警視庁をつくりましたが、二度目の視察旅行で病気になり、帰国後まもなく亡くなりました。
A. 江戸末〜明治時代の人物です。1834年(天保5年)に生まれ、1879年(明治12年)に亡くなりました。
A. 川路利良は薩摩国の生まれです。
A. 1872年にヨーロッパへ渡り、とくにフランスの警察の仕組みを学んで、帰国後に警察制度の改革を提案したからです。その考えにもとづいて1874年に東京警視庁がつくられ、川路は初代の大警視としてその仕組みを整えました。
参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata
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