日本史人生シミュレーター

木戸孝允

長州藩出身の政治家
時代:江戸末〜明治時代 / 1833年〜1877年(44歳ほど)

何をした人?
長州藩出身の政治家で、「維新の三傑」の一人です。はじめは桂小五郎と名のり、吉田松陰に学びました。1866年に薩長同盟を結び、新政府では五箇条の御誓文の作成に関わり、版籍奉還・廃藩置県を進めました。岩倉使節団にも加わり、憲法と議会による政治の大切さを説きました。

プロフィール

名前木戸孝允
生没年1833年(天保4年) – 1877年(明治10年)
時代江戸末〜明治時代
出身地長門国萩(現在の山口県萩市)
別名桂小五郎
主な業績
  • 薩長同盟を結ぶ(1866年)
  • 五箇条の御誓文の作成に関わる(1868年)
  • 版籍奉還・廃藩置県を進める
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歩んだ道

1833年

誕生

長州藩の萩で、藩の医者の家に生まれ、のちに桂家の養子となった。若いころは桂小五郎と名のった。

1849年

松陰に学ぶ

吉田松陰に兵学を学んだ。

1852年

江戸で剣術

江戸に出て、剣術道場の練兵館で腕をみがき、塾頭となった。

1864年

逃れの日々

池田屋事件や禁門の変の危機をのがれ、但馬の出石にかくれて暮らした。

1866年

薩長同盟

長州藩の代表として、坂本龍馬の仲立ちで薩摩藩と薩長同盟を結んだ。

1868年

五箇条の御誓文

新政府の方針を示す五箇条の御誓文づくりにかかわった。

1869年

版籍奉還

大名が土地と人民を天皇に返す版籍奉還を進めた。

1871年

岩倉使節団

廃藩置県を実現させたあと、岩倉使節団の副使として欧米を回った。

1875年

大阪会議

大阪会議で大久保利通らと話し合い、少しずつ憲法にもとづく政治に進むことを決めた。

1877年

最期

西南戦争のさなか、京都で病のために亡くなった。

この時代に起きたこと

よくある質問

Q. 木戸孝允は何をした人ですか?

A. 長州藩出身の政治家で、「維新の三傑」の一人です。はじめは桂小五郎と名のり、吉田松陰に学びました。1866年に薩長同盟を結び、新政府では五箇条の御誓文の作成に関わり、版籍奉還・廃藩置県を進めました。岩倉使節団にも加わり、憲法と議会による政治の大切さを説きました。

Q. 木戸孝允はいつの時代の人ですか?

A. 江戸末〜明治時代の人物です。1833年(天保4年)に生まれ、1877年(明治10年)に亡くなりました。

Q. 木戸孝允の出身地はどこですか?

A. 木戸孝允は長門国萩(現在の山口県萩市)の生まれです。

Q. 桂小五郎と木戸孝允は同じ人ですか?

A. はい、同じ人物です。幕末には桂小五郎と名のって活動し、1865年ごろ藩命で木戸姓に改め、明治になって木戸孝允と名のりました。

参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata

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