何をした人?
薩摩藩の武士で、明治維新の中心となった人物です。島津斉彬に見出され、2度の島流しを経て藩の指導者となり、薩長同盟を結んで倒幕を進めました。戊辰戦争では勝海舟との話し合いで江戸城の無血開城を実現し、新政府では廃藩置県を支えましたが、のちに政府を去り、1877年の西南戦争で敗れて亡くなりました。
| 名前 | 西郷隆盛 |
|---|---|
| 生没年 | 1828年(文政10年) – 1877年(明治10年) |
| 時代 | 江戸末〜明治時代 |
| 出身地 | 薩摩国鹿児島城下の加治屋町(現在の鹿児島市) |
| 別名 | 西郷吉之助、南洲 |
| 主な業績 |
|
薩摩藩(鹿児島県)の下級武士の家に生まれた。同じ町内には、のちに共に維新を進める大久保利通も住んでいた。
藩の農政の役人の手伝いとなり、農民の苦しい暮らしを見て、藩に意見書を出したといわれる。
藩主の島津斉彬に才能を見いだされ、江戸で斉彬のそばに仕えた。各地の志士と交わり、政治の世界で活動を始めた。
斉彬が急に亡くなり、安政の大獄で追われる僧の月照とともに海に身を投げた。月照は亡くなったが、西郷は助けられた。
藩によって奄美大島に身をかくすことになった。島で愛加那と結婚し、子どもも生まれた。
藩の実力者・島津久光の怒りを買い、沖永良部島に流された。きびしい牢の暮らしの中で読書を重ね、考えを深めた。
許されて京都にもどり、禁門の変で長州軍と戦った。その後の長州征討では、長州をきびしく罰しないよう取りはからった。
坂本龍馬の仲立ちで、長州藩の木戸孝允と薩長同盟を結んだ。幕府を倒す流れが強まった。
戊辰戦争で新政府軍を率いた。幕府の勝海舟と話し合い、江戸城を戦わずに明けわたさせ、江戸の町を戦火から守った。
新政府の参議となり、廃藩置県を進めた。岩倉使節団が海外に出ている間、留守をあずかる政府の中心となった。
朝鮮への使節派遣をめぐる争い(征韓論)で、大久保利通らと対立して敗れ、政府を去って鹿児島に帰った。
鹿児島に私学校をつくり、士族の若者を教えた。政府に不満をもつ士族が多く集まった。
私学校の生徒たちにおし立てられて西南戦争を起こしたが、政府軍に敗れた。鹿児島の城山で自ら命を絶った。49歳だった。
A. 薩摩藩の武士で、明治維新の中心となった人物です。島津斉彬に見出され、2度の島流しを経て藩の指導者となり、薩長同盟を結んで倒幕を進めました。戊辰戦争では勝海舟との話し合いで江戸城の無血開城を実現し、新政府では廃藩置県を支えましたが、のちに政府を去り、1877年の西南戦争で敗れて亡くなりました。
A. 江戸末〜明治時代の人物です。1828年(文政10年)に生まれ、1877年(明治10年)に亡くなりました。
A. 西郷隆盛は薩摩国鹿児島城下の加治屋町(現在の鹿児島市)の生まれです。
A. 1877年、西郷隆盛を中心とする鹿児島の士族が政府に対して起こした、日本で最後の大きな内戦です。熊本城の攻防や田原坂の戦いを経て政府軍が勝ち、西郷は鹿児島の城山で亡くなりました。
参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata
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