生まれた年や場所ははっきりしない(諸説あり)。
このころ、絵師の鳥山石燕のもとで絵を学んだ。
このころ、出版元の蔦屋重三郎と組むようになり、その支えで力をのばした。
虫や植物をこまかくえがいた絵本『画本虫撰』を出し、観察力の高さを示した。
このころ、女性の顔や上半身を大きくえがく「美人大首絵」を始め、大評判となった。表情やしぐさまでいきいきとえがいた。
江戸で評判の三人の町の娘をえがいた「寛政三美人」を出した。
支えてくれた蔦屋重三郎が亡くなった。その後も人気絵師として多くの作品をえがいた。
豊臣秀吉をえがいた錦絵が幕府の禁止にふれ、手錠をかけられて50日間過ごす罰を受けた。
処罰の2年ほどあとに亡くなった。美人画の第一人者として、海外でも高く評価されている。
司馬江漢蔦屋重三郎上杉鷹山大黒屋光太夫最上徳内大槻玄沢良寛松平定信
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。